堤 清六 (つつみ せいろく)  1880年〜1931年
 青雲の志に燃え、遙か北洋の海に夢を求めた英傑。

明治40年6月4日堤清六らは新潟からカムチャツカの漁場に向った。中右から3人目堤、前列石から3人目平塚常次郎
 明治13年 新潟県三條上町の呉服商の長男として生まれ る。明治39年、アムール河畔のブロンゲ岬の漁場で平塚常次郎と出会い、人生の転機となる。平塚の推めにより宝寿丸を購入、新潟からカムチャツカ漁場に出漁した。これをきっかけに明治40年堤商会を開設。翌年日露漁業条約に基づいてウスチ・カムチャツカの鮭鱒漁場を買い、さらに現地に缶詰工場を建て邦人漁業家としては初めて缶詰生産に着手、次第に事業を拡大していった。大正2年自動缶詰製造機を導入し、堤商会は世界有数の漁業会社としての地位を確立した。この間、同志である平塚と妹のヨシが結婚、完全に同族会社としての基礎を囲めた。大正10年堤商会は(旧)日魯漁業と勘察加漁業との企業合同をはかり、母船式鮭鱒、カニ漁業で国内外に誇るあけぼの印の日魯漁業株式会社に発展、根拠地の函館に日魯王国を築いた。大正13年、政界に進出したが、昭和4年の政界汚職事件にまきこまれ社会的活動の場を失った。
 昭和6年9月12日、この年の7月避暑でおとずれた根崎の浜で、灸跡の化膿したところへ丹毒菌が侵入、これがもとで、東京にて52年間の生涯を閉じた。告別式は平塚常次郎の私邸にて行われた。

本文/「ステップアップ」vol.76(1995.7)より
(写真/函館市中央図書館、資料/「堤清六の生涯」、「北海道歴史人物事典」北海道新聞社編、「目で見る函館のうつりかわり」、「函館人物誌」近江幸雄著(★未確認))