石原正 (いしはらただし)  1937年〜2005年
 故郷・函館図の作成を実現できず志半ばにして世を去った、我が国の鳥瞰図絵師(ちようかんずえし)の第一人者・石原正。

 昭和12年3月2日、春日町(現・青柳町)で生まれる。青柳小学校、谷地頭中学校、西高等学校を経て、金沢美術工芸大学に進む。少年時代は漫画家や画家を夢見、函館山から見下ろす港や町並みを見て育つ。この体験が独特の目を養った。大学卒業後は大阪読売広告社で広告デザインを習得する。
 鳥瞰図(ちょうかんず)との出会いは、昭和39年、石原正27歳の時。訪米した友人が、ニューヨークの鳥撤図を持ち帰り、それを見た時「背筋に電流が流れ、神の目のようだった」と語っている。
 そのドイツ人、ヘルマン・ボルマンが描いたニューヨーク鳥瞰図に衝撃を受け転身を決意、広告会社を辞めて、昭和44年、大阪万国博覧会の絵図制作を契機に鳥瞰図絵師として独立。出版社「バーズアイ」を立ち上げる。
 鳥撤図とは高い所から見下ろしたように描いた風景または地図のことで、鳥の視点をもちながら地べたを這うような気の遠くなる因果な仕事で労多く益の少ない作業だけに、石原正に続く絵師など誰もいなかった。
 「これで飯が食いたい。そうすれば後継者も出てくるだろう。僕は芸術だと思っているが、この国ではなかなか理解されなくてね」
 副業のコンペの計画書づくりやデザインなどで稼いでは、絵図の取材・制作費につぎ込んだ。
 石原正が描く鳥瞰図は40度前後の角度から見下ろした街を、一軒一軒の家まで精密に描いている。縮尺も正確で地図としても利用できるほどである。
 以来、「千里ニュータウン絵図」「奈良絵図」などを手がけ59年と61年の2度にわたりニューヨークへ飛んだ。町並みを正確に描くためには写真が不可欠で、ニューヨークではヘリコプターをチャーターして空撮7千枚を含む1万2千枚をすべて自分で撮影し、マンハッタンを歩いて街の表情を観察した。4年がかりで完成した四畳半大の「あるニューヨークの一日」には、窓が23万、車4千台、8千人の市民、樹木3千本、犬8匹……がびっしりと描かれた力作で、見る者を圧倒する。
 平成7年、戦後50年の夏、マンハッタンで広島型原爆が爆発する瞬間の絵図を発表。戦時中、疎開先の森町で米軍機の機銃掃射を受けた体験を踏まえて「マンハッタン計画」(原爆製造計画)の原点であるこの街を舞台に、核の脅威、平和の大切さを逆説的に訴えた。
 鳥瞰図はもうやめるが口癖だったが、「生まれ故郷を描かずしては死ねない」とことあるごとに語っていた石原正は、平成17年3月8日、病により死去。享年68歳だった。
 手がけた作品は「大阪万博マップ」を手始めに「千里ニュータウン絵図」「天理絵図」「奈良絵図」「鎌倉絵図」「大阪絵図」「神戸博公式ガイドマップ」「奈良シルクロード博公式マップ」他多数。著書に処女作の自叙伝「鵜の目、俺の目」、宮本武蔵の少年時代を描いた絵本「あばれたけぞう」がある。

本文/「ステップアップ」vol.199(2005.10)より
(写真・資料/桑森好造)