逸見 小右衛門 (へんみ こえもん)  1868年〜1897年
 函館のまちに桜を咲かせた信濃出身の商人。

 函館公園の裏門近く、南側に桜の碑がある。これは函館の商人逸見小右衛門が桜苗を各所に植栽した頌徳碑である。
 逸見小右衛門は、信濃国北安曇郡北城村の人で、嘉永元年3月15日、田中松栄の次子として生まれる。家は農業を業とし、商業を兼ねていた。13歳の時呉服店に務め、夢多くして17歳で独立。商業に従事していたが失敗に終る。明治元年5月新潟より函館に渡来する。小右衛門21歳の時である。わずかの資金をもって菓子を製造し、近村に行商する。この頃、函館に開拓使が設置され、まちは活気を帯び、小右衛門の商売はおおいに繁盛した。多大の利益を得たのち旧家逸見家を継ぐ。益々精励して盛んに菓子を製造する。当時函館に入ってくる外国糖はすべて清国商人の手を経て横浜から移入していたが、明治6年小右衛門は始めて東京、横浜からこれを移入し、低利で同業者に領けた。明治16年菓子製造業を廃め専ら砂糖や麦粉の売買を業とした。札幌製粉場の麦粉及び、紋龍製糖会社の砂糖の函館地方一手販売をも委託した。また小右衛門は公益事業に志をもち、函館を吉野山のようにしようと、明治20年及28年には亀田川(新川)提防に植樹し、更に23年から28年に至る5ヵ年間に函館山腹に5万本の植樹を完了させた。そして函館公園には明治24年に桜、梅2,250本、27年に同じく3,000本合計5,200余株を植えた。しかもすべて自費で、自らも鋤鍬をもって植栽した。
 明治44年の函館区会では、小右衛門の功績をたたえ後世に伝えるため、函館公園内に碑を建てることを決議した。そして昭和7年碑は建てられた。

本文/「ステップアップ」vol.62(1994.5)より
(写真/函館市中央図書館、資料/函館市史編さん室提供)