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渡辺 紳一郎 (わたなべ しんいちろう) 1900年~1978年

NHKラジオのクイズ番組「話の泉」、テレビ「私の秘密」の常連解答者で、口ヒゲとヨーロッパ仕込みの警句で評判だった物知り博士。

明治33年、東京本郷に生まれる。父親が日銀に勤めていた関係で小学校5年の時函館へ来る。弥生小学校から旧制函館中学(現函館中部高校)に進学する。中学3年の時、楚人冠のヨーロッパ通信を愛読し、新聞社の特派員というものは、外国へ行けたり、有名人に出合ったり、大事件の渦巻のそばに行けたりできる、“まことに結構な商売だ”と思い、新聞記者を志す。その後、東京外語仏語科を経て昭和3年東大支那文学科を卒業。朝日新聞社には大正13年入社する。
昭和4年パリ留学、昭和12年再び渡仏、パリ、ストックホルム支局長を歴任し昭和21年帰国する。記者時代は批判精神旺盛で、京童のたぐいに洩れず、月給はポケット・マネーくらいにしか思わず、社内出世だの、昇給だの、ボーナスだのというものにはそれほど重きをおかず、自分が気にいった記事は書くが、気にいらない記事は書かなかった。
ただ、「週刊アサヒ」「アサヒ・グラフ」には毎号埋草用の小さな欄で時勢に対する皮肉や風刺を入れたものをもの知り帖みたいにして書いていた。「アサヒ・グラフ」には「古典語典」と銘うって、中国の古典に由来する故事・成語の日本人にもてはやされていたものを取り上げていた。これがNHKの目に止まり、日本のクイズ番組の元祖としてその頃始まった「話の泉」のレギュラーとして出演することになった。この「もの知り帖」は、渡辺紳一郎が電波に乗って虚名を馳せ、やがてはテレビによって文字どおり顔を売る、そのきっかけとなった、いわば出世作でもあった。またテレビ「私の秘密」、徳川夢声、サトウ・ハチロー、奥野信太郎らとともに日本テレビ「春夏秋冬」のレギュラーとしてその博識ある語り口で人気を集めた。この時の出演者、作詞家の藤浦洸は“渡辺紳一郎先生は-私達の仲間では、紳ちゃんであるが-喋言ることもよく喋言るが、書くことも実によく書く。口が動く調子で手も動くのであろう。羨ましい次第である。紳ちゃんは日本の代表的な毒舌家である。”と渡辺紳一郎の著「放電放談」の序に書いている。
昭和30年退社して朝日新聞社社友となった。著書に「ぶんさん行状記」「絵本・博物誌」「紳一郎捕物帖」「恋愛作法」などがある。
愛煙家で知られ、古地図や泥絵の収集家としても有名であった。医学博士の杉靖三郎は実弟。
昭和53年、肺炎のため静岡県三島市の伊豆平和病院で死去した。享年78歳であった。

本文/「ステップアップ」vol.73(1995.4)より
(写真・資料/「放電放談」渡辺紳一郎著 冬心社、「絵本・博物誌」四季社、「東洋語源物語」旺文社)


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