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2代目 若山 徳次郎 (わかやま とくじろう) 1878年~1938年

料理の道に自らを打ち込み、フランス料理店「五島軒」の料理の元を創った2代目若山徳次郎。

函館は安政5年(1858)、日米修好通商条約が締結されたことにより、翌6年に開港した。その当時から長崎、横浜に負けず劣らずハイカラな港町であった。この函館に西洋料理店が出来たのは幕末のことで、「明治2年函館大町家並絵図」に「重三郎料理仕出ス洋食元祖」とある。この重三郎の屋号は「丸重」といい、安政6年の開港以前に開業していたという説もある。
明治12年、北辺の地函館において食文化の灯をともしたのが「五島軒」だった。
五島軒2代目若山徳次郎は初代惣太郎の長男として明治11年東京で生まれた。初代惣太郎は日本橋・蛎殻町で家業の米問屋を相続後、同業者と組み大がかりな米相場に手を出し失敗。明治11年再起を期して来函した。その翌年富岡町でパン屋を創業し、好評を博した。特に外航船から大量の注文があったという。明治の後期には東京、横浜、神戸まで船便で配達していた。
当初はロシア料理、パン、ケーキの店として八幡坂下で営業されていた。その店名は初代コック長の五島英吉の名にちなんで名づけられた。五島英吉のロシア料理の腕は抜群で、人柄の良い非常に立派な人物であった。その五島英吉の決定的な影響を2代目徳次郎は受けた。
明治34年、2代目徳次郎は約2年ほど修業のため東京帝国ホテルに遊学する。これは本人の念願であり、初代惣太郎の夢でもあった。ここでは一般の見習生の様な、お客様扱いではなく、徹底的に教育され、きびしいものであったが、良き友人知人を得たり、都内のホテル、レストランに他流試合式に出かけたりと充実した時を過ごした。寺小屋で僅か1年余より学ぶことの出来なかった2代目徳次郎にとって、全精力を傾け付ての修業であったようだ。後の帝国ホテル犬飼社長、昭和天皇の料理長・秋山徳蔵と知りあったのもこの頃であった。
帝国ホテル修業が、その後の五島軒の進路に大きな貢献を果している。その後、選ばれて代々の料理長が見習生として、帝国ホテルに入社している。
当時、横浜に隠退していた五島英吉は、毎年夏になると避暑に来函しており、在函中はかつての教え子でもあり、家庭的に恵まれなかった2代目徳次郎を心にかけて励まし、東京、構浜の料理の情報を教え、東京への修業をすすめていた。
後年、秋山徳蔵が、2代目徳次郎は、抜群の調理能力と類例の少ない舌(味覚)の持主だったと激賞している。
“白衣姿の2代目が赤々と燃える調理用ストーブを前に貴族出身で世紀の画家であり、しかも傑出した料理人、フランス人ロートレックの言葉を、自身にも言いふくめる様に「芸術と料理は同じ特質を追求するという点で一致する」と、若者達に語っておりました。”……3代目若山徳次郎。

本文/「ステップアップ」vol.54(1993.9)より
(写真・参考/若山徳次郎氏所蔵、「北の食文化に灯をともして・五島軒110年のあゆみ」)


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