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若山惣太郎 (わかやま そうたろう) 1855年~1917年

北辺の地・函館で洋食にかけた五島軒創業の初代若山惣太郎。

安政2年、埼玉県鴻の巣大字常光(神谷村)の若山家初代三右衛門の六代目孫八の弟で、文化年間、江戸蠣殻町で米問屋を開業する忠蔵の長男として江戸に生まれる。家業相続後、同業者と組み大がかりな米相場に手を出して失敗、その責任を一身に負い再起を期して明治11年来函する。この年、二代目若山徳次郎が東京で生まれる。
明治12年、富岡町(現・大町)でパン屋を創業する。惣太郎がパンの作り方を何時、何処で、誰から教わったかは定かではないが、五島軒二代目の若山徳次郎の妻・フサがパンの話が出る度、独特の秘訣を会得していたのではないかと話している。幕末期の箱館は日本唯一の西洋野菜の生産地で、安政年間、当時の奉行がジャガイモを多く生産するよう箱館周辺の農家に指導している。
惣太郎は自ら採取した函館周辺の野生のホップのほか2種頴の材料とジャガイモでパン種をつくり、床下の一定の温度と湿度を保持した箱で育てていたと伝えられている。
五島軒のパンは、当時非常に好評で、特に外国船からの大量の注文があり、明治後期には、東京・横浜・神戸まで船便で配達している。二代目の妻フサが嫁いできたとき、新妻に課せられた仕事は終日、パンの荷造りと荷札書きだった。
パン屋に次いで、同じ年に長崎県五島列島出身の五島英吉の協力を得て、「五島軒」の屋号でロシア料理の店を当時の繁華街であった旧桟橋前で開業する。
五島英吉は幕末期、長崎奉行所の通訳をしており、後に旧幕府軍に加わり、転戦し最後に箱館戦争に参加。敗戦後、残党狩りを逃れて、ニコライ神父の好意でハリストス正教会に匿われる。その後、教会の家僕として働きながら、ロシア料理を習得し、その腕前は申し分なかった。
しかし、当時の函館の人の嗜好は、ロシア料理ではなくフランス風を好む人が多かったようで、五島軒もやむを得ず西洋料理に転換する事になる。
明治19年7月、再出発に先立ち資金調達や仕入れ関係が問題であったが、東京の輸入商、海軍御用達の亀屋鶴五郎商店、宮内庁御用達の灘の山邑酒造(桜正宗本舗)、函館の精肉商・森亀山田精肉店等の援助により、旧八幡坂下(末広町)に西洋料理店を開く。開店に先だって、フランスで修行した老巧コックを横浜から雇い入れ、パンの販売も合わせ本格的なフランス料理の店をスタートさせる。ロシア料理店開業から7年後であった。
英国領事館の催事や函館船渠会社の進水式の祝賀会等の出張出前サービスを始めるなど順風満帆であったが、明治40年8月25日、函館大火災に罹災し、全焼。現在地に新店舗を新築移転する。
大正6年4月3日、病没。波乱に富んだ63年の生涯を閉じる。長男徳次郎、「五島軒」二代目を相続する。

本文/「ステップアップ」vol.239(2009.2)より
(写真/五島軒所蔵、資料/「五島軒創業120年のあゆみ」、「箱館昔話」(有)パルス企画発行、「北の文明開化・函館事始め百話」早坂秀男・井上能孝著、「第4集ほっかいどう百年物語」STVラジオ編集、取材協力/若山直氏、函館市中央図書館)


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