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四倉 ミツエ (よつくら みつえ) 1889年~1963年

つつましく咲くすみれを愛した“忍耐と我慢”の人四倉ミツエの教育に捧げた人生。

明治22年11月1日、岩手県一ノ関市に生れる。経済的に恵まれた家庭ではなかったが、年老いた姑に仕える母はミツエを愛育した。母の精神的家庭生活がミツエの豊かな人間性を養った。
現在の県立一ノ関第二高校を卒業。結婚後函館に来たミツエは、夫の許しを得て上京、3年間の勉学の後資格を得て明治45年帰函。若松町に私塾を開くが、大正2年招かれて塾生共々函館実践女学校に移り奉職することになる。この間19年6ヶ月、朝から夕まで同校に勤務し、帰宅後は夜学を教授するという映画どころかお茶さえも飲む暇もなく、いつも学校のこと、家庭のことで頭が一杯だった。
昭和5年、実践女学校を辞し、東川町に北海道庁長官の許可を得て昭和技芸学校を創立する。これが現在の函館昭和女子学園の出発点となる。堅実な女性の養成を目標に、校訓を「花より実」に、優しい心を常に胸にするよう校章を「すみれ」に定めた。礼儀正しく、落着いてよく努力する生徒が多く、昭和の生徒は校章を見なくとも分かるといわれた。
しかし、夫と共に独立し開校したのも束の間、9年3月21日の函館大火は夜も昼も働きつづけて漸く成った校舎を一なめに焼失した。その日は卒業式の記念行事の展示会だった。何をおいても生徒の作品を搬出、大半を身と共に持ち出した。火災保険の期限が切れ、よもやと思ってその後の契約を怠ったので復興には苦しい立場に追込まれた。「天災は忘れた頃に来る」という諺を身をもって体験した。
しかし、天は2人と学生たちを見捨てはしなかった。或る人から無担保で金融を受け、西川町7番地から西川町20番地へと拡張、移転することとなった。
14年、文部大臣の認可を得て宿願だった中等学校に昇格する。名称を「函館昭和女子高等技芸学校」とした。23年、「函館昭和技芸高等学校」に転換。26年、「昭和竜谷技芸高等学校」に変更。36年、「昭和竜谷女子高等学校」に変更。そして、44年11月亀田本町へ全校移転し校名を「函館昭和女子学園高等学校」に改称した。
仕事と家庭を両立させ、教育に生涯を捧げた四倉ミツエはその長年の功績により昭和29年11月、女性としては初の「函館市文化賞」を受賞。33年には第1回私立学校関係功労者として北海道知事より「社会貢献賞」を受賞。これも女性としては第1回目であった。また34年5月には、教学の成績顕著の故で「藍綬褒章」を賜与。
昭和38年6月30日、教員経歴54年。慈母そのままのやさしい心で万人に接し、しかもあらゆる苦難に耐え”教育の根本は愛“を貫いた四倉ミツエは74年の生涯を閉じた。翌年の7月、文化庁より「従六位・勲六等・瑞宝章」を賜与した。

本文/「ステップアップ」vol.121(1999.4)より
(写真/函館昭和女子学園、資料/「昭和竜谷技芸高等学校・創立三十周年記念誌」、「函館昭和女子学園高等学校・創立五十周年記念誌」、「函館市史・通説編」第3巻」、「箱館昔話」函館パルス企画発行、取材協力/函館昭和女子学園)


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