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ヨシフ・アントーノヴィチ・ゴシケーヴィチ (1814~1875)

幕末開港期の1858年から1865年までの約7年間、日本で唯一領事館が置かれた箱館で、最初の駐日ロシア領事となったゴシケーヴィチ 2014年、生誕200年を迎えた

1814年(文化11年)3月16日、ロシア帝国ミンスク県レチツァ郡(現・ベラルーシ共和国ゴメリ州ホイニキ地区)で、同村ミハイル教会の司祭だった父アントーニイと母グリケリヤの子として生まれる。サンクトペテルブルクの神学大学で学び、卒業後の1839年(天保10年)から約10年間、ロシア正教の北京宣教団の一員として中国に滞在する。
1855年(安政元年)、日露間で結ばれた最初の条約「日露和親条約」のロシア側全権代表、プチャーチン提督の中国語の通訳・秘書を務める。この時、長崎・箱館・下田・戸田(へだ)を訪れている。
帰国途中、イギリス軍艦に拿捕され、クリミア戦争が終わるまでの9ヶ月間、捕虜生活を送る。この間、元掛川藩士・橘耕斎の協力を得て、「和魯通信比考」を完成させる。この和露辞典は、帝国科学アカデミーのデミードフ賞を受賞する。
この功績が高く評価され、箱館にロシア領事館が置かれることが決まると初代駐日ロシア領事として任命される。
1858年(安政5年)11月5日、家族、海軍士官、医師夫妻、司祭などを伴い、箱館に着任。当初は、実行寺を仮領事館とするが、1860年(万延元年)、現在の函館ハリストス正教会の敷地内に領事館を建てる。
江戸に出向くこともあったが、主に箱館から、日本に関する情報を本国外務省へ定期的に送った。
1861年(文久元年)に起きたポサードニク号による対馬占領事件の際は、暴走しがちな海軍の方針を横目に、外国奉行の村垣や小栗忠順と交渉し、幕府側との冷静な対応に努め、危機を回避させた。
動植物の収集が趣味で、その一部は本国に届けられたが、1865年(慶応元年)に西隣のイギリス領事館が火事となり領事館は全焼。莫大なコレクション類はすべて失われた。
夫人のエリザヴェータは、1864年(元治元年)秋、箱館で病死。それからおよそ100年後、函館正教会の厨川勇司祭が、その遺骨を確認し、ロシア人墓地に墓を建てる。
帰国後は、ペテルブルクでロシア外務省の官史として数年を送るが、1867年(慶応3年)には引退した。ベラルーシ西部のマリ(現・オストロヴェツ地区マリ村)に移り住み、再婚したエカテリーナ夫人との間に息子ヨシフが生まれるが、1875年(明治8年)5月15日に同地で61歳の生涯を閉じた。

本文/「ステップアップ」vol.306(2014.9)より~NO.286
(肖像画/ 市立函館博物館提供、
参考資料/ 「初代駐日ロシア領事ゴシケーヴィチ ゆかりの地ベラルーシを訪ねて」倉田有佳著、 「宣教師ニコライの全日記1」中村健之助監修、 「おろしや盆踊唄考」中村喜和著、 「白ロシアのオデッセイ」グザーノフ著
取材協力/ 倉田有佳(ロシア極東連邦総合大学函館校准教授)、 函館市中央図書館)


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