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横山 松三郎 (よこやま まつさぶろう) 1838年~1884年

わが国写真・洋画の黎明期に天オ的写真家として活躍し、また美術史上でも洋画の先駆者として貢献した大芸術家、横山松三郎。函館と「写真」との関わりは、我国の写真の歴史そのものであり、横浜・長崎と共に日本三大写真発祥地と呼ばれている。

天保9年10月10日、千島択捉(エトロフ)島で生まれる。松三郎の祖父も父も択捉島に渡り、漁業の監督をしていたが失敗し、本拠地箱館に帰ってきたのは松三郎が10歳に満たない時である。15歳の時、商家の奉公に出るが、絵を描くことが好きで、とくに浮世絵画家、葛飾北斎の漫画にあこがれ、それを手本に描いていたという。
当時の箱館はペリー来航以降、アメリカ、ロシア、イギリスの艦船の入港がしばしばあり、たまたま米艦の乗組員が上陸し、市内各所を写真に写しているの
を見た松三郎は、この写真術を覚え、母の肖像を遺そうと思う。
安政5年、函館に来たロシアの初代領事ゴシケウィッチから写真の手ほどきを受ける。
文久年間に箱館に入港したロシアの軍艦にレーマンという画家がおり、風物を描くため、案内人兼助手を探したのだが応じる者もなく、当時の箱館ロシア
領事館の司祭ニコライの紹介で松三郎がその役を引き受ける。
レーマンに従い歩いているうちに洋画の技法を習得する。しかし風景を写真撮影し、それを見本に画を描ければ、正確さにおいてこれ以上のものがないと、
いつか写真術を習得しようと胸に秘めるようになる。
元治元年、箱館在住の外人に写真術をきいても一向に要領を得ないので、いっそ外国に行って直接習得しようと思い、幕府の御用艦「健順丸」に下働きとして乗り込む。香港、上海と行くが、両地とも写真を知っている人がなくむなしく帰国。横浜に着いてから船の御用掛をやめ、弁天通で開業していた下岡蓮杖を訪ね門弟となり、より高度の写真技術の修行をする。下岡にとってははじめての正式な師弟であったので、薬液の調合から撮影まですべてを松三郎に伝授する。
慶応3年、江戸両国に続いて上野不忍池の近くに本格的写真場をつくり、「通天楼」と名付け、写真・洋画の製作と実験、門弟の指導にあたる。
明治3年、日光、翌年には旧江戸城とわが国写真史上画期的なドキュメントを撮影する。さらに5年には東海道・近畿・伊勢に撮影旅行をし、その写真は翌年のウィーン万国博覧会に出品される。
松三郎はわが国で初めて立体写真を作製し、写真油絵を考案する。また、油彩画・石版画など洋画の秀作を残すなど、わが国写真・洋画の黎明期に活躍する。
明治9年、陸軍士官学校の教官となり、写真石版を教授し、また気球に乗りわが国最初の航空写真を実験する。油彩、石版術、写真術などの分野で高名の門人を受け入れたが、14年に士官学校を退き、市谷八幡杜の近くに移り、17年10月15日そこで生涯を終える。墓碑は船見町高龍寺にある。
日本における初期の写真界への功績は非常に大きく、北海道よりも東京を舞台として活躍した第一級の芸術家であった。

本文/「ステップアップ」vol.38(1992.5)、vol.190(2005.1)より
(写真/函館市中央図書館、資料/「北海道写真100年史」札幌写真師会発行、「北海道写真史 幕末・明治」渋谷四郎編著、「北海道歴史人物事典」北海道)


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