函館市文化・スポーツ振興財団

三吉 良太郎 (みよし りょうたろう)  1907年~1960年

弘前に生まれ、海と異国情緒と開放性にあこがれ、
函館のまちをこよなく愛した詩人・三吉良太郎。

明治40年12月11日青森県弘前市にて生まれる。大正8年に海と異国情緒と開放性にあこがれ、津軽海峡を渡って函館に住みつき詩作に入る。「日本詩壇」の同人を経て17年に詩誌「涛」を創刊。19年第20号で休刊する。終戦の翌年「涛の会」を「道南詩人くらぶ」と改称して「涛」を復刊した。23年第38号をもって終刊となったが、太平洋戦争の前後の道南における詩の発掘と育成に果たした役割はきわめて大きい。「涛」以後は詩誌「だいある」の同人として作品の発表を続ける。

函館をこよなく愛した詩は、この港町の「奥行きの深さ」と「新しい情緒」をうたいあげた。一方、たくまざるうまさで庶民感情をたかぶらせた生活の詩も書き続けた。詩集「秩序なき貌」「虹の門標」はそれらの系列の作品集。

”生れは東北の弘前市であるが、幼いころから住みついた函館の街は、決して第二の古里ではなく、やがては父子二代の墳墓をこの地に築こうとしている昨今、私にとっては安住の地でもあるので、私はもっともっと函館の街を唄いたいと思う念で一ぱいであり、また函館に住むみんなの心持ではあるまいかと思う。そしてその古い古里の中に、新しい情緒や新しいものを発見し、それらを私達の子供と同様に愛しみ育ててゆくのは平等の権利でもあり、義務でもあると思うのである。”虹の門標より”

また詩形式に実験的詩人・西脇順三郎の詩集「旅人帰らず」に刺激を受け、1冊1編、日記形式の詩集「秋風の響宴」を出版した。これはポワロオの「真ならずば美ならず」の思想に立って、時間性や物語性による異なった情景と情緒をからませて生活の側面を展開させたところの叙事詩でもあった。

戦時中に印刷屋を廃業に追い込まれて北海道新聞函館支社に就職。民謡詩人・片平庸人とは同じ職場の仲間であった。

昭和35年5月8日名詩集「秋風の響宴」を世に残し、三吉良太郎は前立腺ガンでこの世を去った。

函館ゆかりの人物伝