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三谷元次郎 (みたに もとじろう) 1874年~1931年

予言界の革新者として常に神秘予言をなし世人を驚嘆せしめた「電気予言・三谷天命堂」主人三谷元次郎。

三谷元次郎は明治7年7月18日に、宇野順次郎の四男として松山市に生まれる。最初の名前は元四郎であった。三谷姓を名乗るようになったのは、兵役を逃れるために家督相続人のいない三谷家の長男として養子に入ったためで、名前も元四郎から元次郎に改めた。少年の頃から発明好きで足踏み式の飛行機を作って狂人呼ばわりされたこともあったという。
元次郎は、兄虎五郎の紹介でかなり若いうちに台湾に行き、そこで三等郵便局長をしていたとされている。
明治26年頃、台湾を引き上げて松山に帰り巡査になっている。そこでかねてからの意中の人ダダと是が非でも結婚したいと、松山の呉服商に嫁いでいたダダの夫と直談判をして離縁させ、自分の妻とした。ちなみに、ダダは従姉で3歳年上であった。
ある時、泥棒を護送中、泥棒に逃げられてしまい、この事件がきっかけで巡査を辞めたと言われている。その後大阪へ行き、明治35年大阪朝報に入社した。この発行人は永江為政で、同郷の人であった。この頃、元次郎はすでに白色火薬の発明に懸命で、電気予言器の発明にも取り掛っていた。
元次郎が何時東京から函館に移り住んだかははっきりしていないが、大正2年の頃と考えられている。元次郎を紹介した新聞記事によれば、函館へ渡ったのは「武富平作君の馬鈴薯から飴をとる研究技士として聘せられた」ことによるとされている。しかし、それは平作の一寸した「躓き」から実現されなかったとされている。
函館に移り失業者同然になった元次郎は、大阪時代に発明した電気予言器にさらに改良を加えることに熱中する。
この電気予言器がその年の11月に起きた「第三銀行函館支店三百円盗難事件」の際に役立つ。この事件は当時東浜町にあった第三銀行函館支店で現金三百円が盗まれたのか、消えてしまったというものであった。たまたま元次郎は知人を通じて銀行から予言を依頼され、完成したばかりの電気予言器を操作した結果、「三百円は行内の火の台の下に隠されている」と出たので用務員室のコンロ台の下を調べてみると、その金は予言通りそこで無事発見され、犯人も逮捕された。その後、第三銀行函館支店長や多くの友人たちの強い勧めによって、大正4年、本格的に電気予言を職業とするようになった。
大正8年から昭和5年まで、函館毎日新聞社の依頼により電気予言器によるその年の「国運」を発表するようになる。その内容はわが国の政治、経済、天変地異に及んでおり、従来の日常生活に関するものとはまったく異なるものであった。
晩年は、大正の終わり頃から始めていた菊の栽培に妻のダダと打ち込んだり、メロンやリンゴを鉢で栽培することに熱中していた。特に菊花の栽培は「電気予言以上に有名」と冷やかされるほどであった。
また元次郎は囲碁が強く、暇さえあれば囲碁仲間と対局していた。元次郎が肺結核に感染したのはその1人からであった。昭和4年にはかなり重症になり、薬学生であった愛娘千代子の勧めで東京で病気を治そうと考え、函館を去る決心をする。函館を去ったのは恐らく6年の1月の終わり頃とされている。
「我ながら驚く」ほど不思議に当たる予言で信望を集めた三谷元次郎は東京に移ってから約1ヵ月後の昭和6年3月1日にこの世を去った。

本文/「ステップアップ」vol.124(1999.7)より
(写真・資料/「地域史研究・はこだて(第22号)」函館市市史編さん室編集、協力/市立函館博物館)


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