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松川 次郎 (まつかわ じろう) 1909年~1982年

道南の陸上競技界の指導者として活躍し、公認の陸上競技場の設計をした松川次郎。

明治42年12月6日函館にて生れる。函館商業学校(現・函館商業高等学校)卒業後、日本体育会体操学校(現・日体大)に進み、学生時代は砲丸投げなど投擲(とうてき)の選手として国体に出場するなど活躍した。昭和18年からは函館東高校の前身の函館市立中学で体育教師を務め、陸上競技部の部長として数多くの好選手を育成、全国大会に出場させるなど東高陸上部の黄金時代を築いた。そして45年に東高校から函館大学教授となった。
大正12年、第2回巴港中等学校陸上競技大会が開かれ、函館商業学校は宿敵・師範学校に敗れた。スタンドに居た1年生の松川次郎は、すすり泣く本校の無念さを感じ師範学校には是非勝ちたいと思い、日の暮れるのも知らずに本校選手の嘆く様を見て自分も陸上競技部に入る決心をした。冬季練習が開かれた時には陸上部の一員となっていた。この時こそ、函館商業学校の黄金期であった。短距離に小仲、中距離の杉本、長距離には小梅、ジャンプに北村、吉田、そして投擲に上杉、飯田、秋賓、奥村、對馬がおりいづれも前大会の記録を破る猛者ばかりであった。次郎5年の時、主将となり、トラックにフィールドに大活躍をする。体格も立派で堂々とし、威厳もあり、回りからは恐れられていた。
松川次郎が東高校時代に育てた選手の1人に菊地慶一がいる。昭和27年の仙台での国体で110メートル障害に14秒9という快記録を出して一躍メルボルン大会のホープとなった新人ナンバー1で、走高飛で1メートル80センチ、三段飛に13メートル97センチを記録。南部忠平以来道が生んだキリン児として陸上界の期待を一身に集めた。”菊地は選手としても生徒としても実に立派なもので、学校の誇りといえるがそれだけにムスメ1人にムコ8人といった各大学からの勧誘も多くて悩んでいる“とうれしい悲鳴を上げていた。
昭和8年、日本陸上競技連盟より「陸上競技の統制団体は官設団体でなく民間団体として組織されるべく…」という通達があり、これに伴い北海道陸上競技協会が創立され、函館も民間団体による函館陸上競技協会が発足した。この時、松川次郎は事務担当者として運営に関わった。また函館における公認陸上競技場の設計も行った。10年に函館市綜合運動場(函館市柏野陸上競技場)。30年に函館市根崎陸上競技場。36年には函館千代台公園陸上競技場の設計をした。
道南陸上競技協会副会長を務め、37年には函館市体育協会からスポーツ功労賞、45年には北海道陸上競技協会より南部記念賞、そして47年には北海道教育委員会より北海道スポーツ賞を受賞。陸上審判員の最高栄誉である終身1種公認審判員にも選ばれている。
道南の陸上競技界の指導者として活躍した松川次郎は57年11月27日肺がんのため、72年の生涯を閉じた。
4年後、松川次郎の名前を末永くと考える教え子たちの手で「松川次郎杯陸上競技大会」が開催された。故人名の冠大会は函館では非常に珍しく、しかも、種目がリレーだけというのもユニークであった。
今年も7月20日新しくなった千代台陸上競技場で14回目の大会が開催される。

本文/「ステップアップ」vol.123(1999.6)より
(写真・資料/「スパイクの跡・松川次郎先生を偲んで」、「函館市体育協会・創立70周年記念誌」、「函商・校友会」北海道新聞、取材協力/高坂藤吉、米谷元捷)


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