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前島 密 (まえじま ひそか) 1835年~1919年

越後の国に生れ、諸術調所の武田斐三郎に学んだ我が国郵便制度の創始者。

天保6年1月7日、越後(現・新潟県)中頸城(なかくびき)郡津有村字下池部(現・高田市)の豪農上野助右衛門・貞子の第2子として生れる。幼名は房五郎。後に前島家を継ぐ。成人後、来輔と改名したが、国は輔の字を禁じたため密と改めた。鴻爪(こうそう)の号で知られる。
父は生前に亡くなり、母方の叔父糸魚川藩医相沢文仲に養われた。
弘化元年、高田の倉石窩の門に入り、4月江戸に出て苦学を続けながら洋医学を学ぶうち西洋の事情に目ざめた。
安政5年から巻退蔵と自称しこの年の11月、箱館におもむき諸術調所に入門、武田斐三郎に航海学を学び、安政6年、奉行から預けられた箱館丸に乗り、北海を巡航し、更に転じて南海に出て、摂津・播磨・上総・下総から陸奥を経て南部の宮古に越冬し、翌万延元年箱館にもどる。翌文久元年には、亀田丸に乗ってロシア領ニコライエフスクにも航海した。
当時、航海術を実地に学べるところは箱館と長崎より他になく、特に武田斐三郎の実用主義教育は、後にわが国の産業、文化に頁献する有為の人材を生むに至った。門下生には山尾庸三、井上勝、蛇子末次郎、今井兼輔などがおり、前島密もその一人であった。
文久3年、外国奉行組頭向山栄五郎に従って対馬に行き、その後長崎に滞在する。慶応元年薩摩藩に招かれて開成学校で英学を教え、同3年江戸に帰り、親戚の幕吏前島錠次郎の家を継いだ。
明治元年3月、蝦夷地開拓につき陳情。明治初期開拓使設置当初のころ、開拓使はその地名に漢字をあて政府に報告していたが、密は北海道の地名はアイヌ語よりその源を発しているので、仮名で書くのが適当ではないかといい、以来北海道との深い関わりが生れた。
3年6月、新政府に仕えた密は、租税権正から駅逓権正となって駅逓事業の改革を考え、イギリスに派遣された。4年、帰国して駅逓頭に任じられて郵便制度を確立した。「郵便」「郵便切手」の名称も密の創意による。一方、飛脚屋に勧めて5年陸運元会社(後の内国通運会社)を設立させた。その後内務少輔から大輔に進み、元老院議官を兼ねたが、その間、地租改正、度量衡改正、商船学校、訓盲院の創立、内国勧業博覧会の開催等新制度の創成に大きな功績があった。
14年、大隈重信らと共に官を辞して改進党に入り、15年海員掖済会を作り、19年東京専門学校の校長となり、20年関西鉄道会社社長に推されて就任したが、21年には逓信次官に任ぜられ、電話事業の創始にも尽力した。退官後27年北越鉄道会社社長となり、難工事の末37年直江津-新潟間を開通させた。37年貴族院議員となった。また密は漢字廃止論の先駆者でもあり、「毎日平仮名新聞」を発行した。
向学心に燃え、国内はもとよりロシア、イギリスと外国に学び、我が国の郵便制度を作り上げた前島密は大正8年4月28日、85年の生涯を終えた。

本文/「ステップアップ」vol.110(1998.5)より
(写真/函館市中央図書館、資料/「明治維新人名辞典」吉川弘文館、「北海道大百科事典」北海道新聞社、「北海道歴史人物辞典」北海道新聞社、「近代日本の先駆者」日外アソシエ-ツ、「函館教育史」、「函館市史・通説編第1巻」)


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