函館市文化・スポーツ振興財団

廣瀬 量平 (ひろせ りょうへい)  1930年~2008年

私の音楽の根幹は、函館の風土とつながっていると思います。廣瀬量平

廣瀬 量平

昭和5年7月17日、日魯漁業社員の父・理喜男とレストラン五島軒店主若山徳次郎の長女・柳の長男として相生町(現・末広町)に生まれる。9年の大火で被災し、湯川に転居。

昭和12年、柏野小学校に入学。18年、函館市立中学校(現・市立函館高等学校)に入学する。翌年、父の仕事の関係で、樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク市)に渡り、樺太庁立豊原中学校2学年に転入する。

昭和20年3月、帰還、函館市立中学に転入する。動員中の東洋高圧砂川工場で終戦を迎え、同年9月、札幌第一中学校(現・札幌南高等学校)に転校する。23年、旧制北海道大学予科文類に入学。この頃から筒井秀武に師事し作曲を始める。翌年の9月、新制北海道大学教養学部に進学。

昭和25年、NHK札幌放送管弦楽団により「管弦楽のためのバラード」を西田直道指揮で放送初演される。28年、北海道大学卒業後、上京し、作曲家池内友次郎に師事する。30年、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学。卒業後、同大学専攻科に進み、36年修了。作曲活動に入る。

作品は、オーケストラ、室内楽、器楽曲、合唱曲、邦楽や古楽器のための作品、電子音楽、劇音楽、映像音楽などジャンルは幅広かった。

昭和46年発表の「チェロ協奏曲」は、芸術祭賞、レコードアカデミー大賞を受賞。この年、札幌オリンピックの「祝典序曲」を作曲する。

昭和44年、「尺八1969」により文化庁芸術祭優秀賞受賞。47年混声合唱組曲「カムイの森」、48年「廣瀬量平の音楽-その汎アジア的世界」、51年「天籟地響」、53年混声合唱組曲「海鳥の詩」で同賞を受賞する。昭和52年、「尺八とオーケストラのための協奏曲」により第25回尾高賞を受賞。平成2年には、藤堂音楽賞、京都府文化賞(功労賞)。平成6年には、京都市文化功労賞。平成9年には、紫綬褒章。平成20年には、旭日小綬章。平成20年5月には函館市栄誉賞を受賞する。

昭和52年~平成8年、京都市立芸術大学教授。昭和59年~63年、日本現代音楽協会委員長。平成4年~8年、京都市立芸術大学音楽学部長。平成3年~10年、東京芸術大学音楽学部作曲科講師。平成9年より同志社女子大学講師。平成12年、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長。平成17年、京都コンサートホール館長に就任し、死亡時まで現職だった。

平成20年11月24日、逝去。享年78歳だった。絶筆曲は「空海讃歌」(梅原猛作詞)。21年、京都府文化賞(特別功労賞)受賞。

市民に親しまれている「はこだて賛歌」は昭和48年、亀田市との合併を記念して北海道放送が廣瀬量平に委嘱。後、函館市に寄贈された。

函館ゆかりの人物伝