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原 忠雄(はら ただお) 1900年~1973年

新聞の世界から水産界へ転身した「北海道新聞」の取締役初代総務局長、原忠雄

明治34年1月1日、長野県に生まれる。長男として生まれたが、幼くして両親を亡くし、代議士だった父方の叔父に預けられる。後に日本社会主義運動の先駆者で、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれ、早稲田大学野球部創設者でもある安部磯雄に共鳴し早稲田大学政経学部に学ぶ。
叔父と知り合いだった函館の代議士・平出喜三郎(2代目)が経営する平出漁業缶詰会社に勤めるが、同社の事業が失敗したため辛酸をなめた。後、函館新聞界の大御所といわれた長谷川淑夫(よしお)の知遇を得て新聞界に入る。
長谷川淑夫は、明治・大正・昭和の三代を生き、函館新聞界を代表した硬骨の言論人で、大衆作家・海太郎、画家・潾二郎、ロシア文学の濬、作家・四郎の父で旧函館新聞社社長。号は世民(せみん)といった。
立待岬の小高いところに、長谷川淑夫の顕彰碑があり、その裏面に「昭和十八年五月十六日 新函館社長原忠雄建立」と刻まれている。「新函館」というのは、昭和16年、戦時統制による新聞統合で、「函館新聞」「函館日日新聞」「函館タイムズ」の3紙が合同してできた新聞で、取締役会長が長谷川淑夫、同社長が原忠雄であった。ただしこの「新函館」は、翌年には道内11社のさらなる大統合で「北海道新聞」になる。1年足らずの新聞社だったが、原は長谷川淑夫の顕彰碑には「新函館社長」の旧職名を刻んだ。
昭和17年11月1日、「北海道新聞」は、輝かしい第一歩を踏み出した。原は「北海道新聞」の取締役初代総務局長となり、取締役函館支社長となった。
新聞界で活躍する一方、同時に函館図書館の創設者・岡田健藏にも傾倒し、自ら岡田の鞄持ちを自任するほどであった。岡田は昭和11年、函館の文化人を糾合(きゅうごう)※して無銘会という会をつくり、親睦と自己研錯の場としていたが、その事務を担当していた。無銘会には作家の亀井勝一郎も名を連ねていた。
昭和21年、北海道新聞を退社し、水産界に進出。択捉水産株式会社取締役社長、函館公海漁業株式会社を設立し取締役となる。
昭和9年、函館ロータリークラブが創立されるが、原はそのチャーターメンバー(創設時メンバー)の一人で、15年会長に就任する。他に函館厚生院理事長、函館方面公安委員、日ソ協会函館支部理事長、函館文化会会長なども歴任した。
昭和48年、没。

※ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめること。

本文/「ステップアップ」vol.319(2015.10)より~NO.299
(写真/北海道文化奨励賞受賞記念「函館文化会沿革史」
参考資料/創立130年記念「函館文化会沿革史」、「函館新聞小史と回想」、「北海道新聞二十年史」、「函館名士録」、「沖取鮭鱒漁業発達史」、「早稲田大報」
取材協力/函館市中央図書館)


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