函館市文化・スポーツ振興財団

箱根 寿保 (はこね としお)  1936年~1999年

函館に生まれ、一貫してメタモルフォシス(変形)にこだわり、終生当地で制作を続けた画家、箱根寿保

箱根 寿保

昭和11年7月10日、父・正、母・サワの次男として的場町に生まれる。本名俊男。父は印刷会社で画工をしていた。父の血を引いたのか幼少の頃から絵に親しみ、高盛小、光成中を経て中部高校に入学。美術部に所属し、3年生の時第9回全道展に「橋風景」が初入選、続いて第31回赤光社展に「運河風景」を出品する。

昭和29年、母に反対されながらも、教員になるからと偽って、武蔵野美術大学西洋画科および教員養成科に入学。大学では国画会会員の土田文雄に学ぶ。同時期に菅野充造、蛯子善悦、伏木田光夫などがいた。

昭和34年、武蔵野美術大学卒業後は、東宝舞台に就職。美術部門で道具や調達を担当する。

昭和35年、函館に帰郷。ホリタに就職し、企画室で宣伝や美術、画材部を担当するが長続きせず、本格的に画家の道を歩む。

昭和36年、第38回赤光社展で会友賞受賞、会員に推挙される。38年、第37回国画会展出品作「少年騎士B」「指揮をとる皇帝」で新人賞受賞。翌39年、第38回国画会展出品「踊りを観るミノタウロス」「女を守るミノタウロス」が国画賞受賞。

昭和47年、ソビエト・シベリアへ行く。翌年、再びソビエト(ハバロフスク、イルクーツク)を訪れる。このときのスケッチをまとめた大作「ハバロフスク旅情」「カシオペア座群像」にその足跡が残されている。これを第一歩として海外に目を開き、作品のモチーフの広がりと内的充実につながっていく。とくに重要なのは、昭和50年に始まるインド、ネパール、タイ、トルコ、パキスタンなどアジアから中近東への三たびの旅であった。これらの地を繰り返し訪れることによって、新たな自己のモチーフを掘りあてる。それは見方によっては宗教的であったり、宇宙的であったり、永遠の生命に根ざすものであったりした。この間にも、翌51年から54年の間に、フランス、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどヨーロッパ各地を取材旅行する。

箱根寿保のシリーズものにシューベルトの歌曲集をモチーフにしたユニークな連作がある。昭和53年、24曲からなる「冬の旅」をパステル画と水彩画によって描かれた「冬の旅シリーズ」。そして平成10年に発表された20曲の連作「美しき水車小屋の娘」。いずれも原曲の演奏と併せて発表するという方法が新鮮であった。

時の動きにも周囲の美術状況にも流されず、あくまでも自己の絵画に忠実に生き続けた箱根寿保は、平成11年4月21日、心不全にて急逝する。享年62歳であった。

函館ゆかりの人物伝