函館市文化・スポーツ振興財団

深瀬 鴻堂 (ふかせ こうどう)  1847年~1913年

コレラの予防対策と施療にあたり、当時の函館の医学界をリードした医術師。

深瀬 鴻堂

弘化4年箱館に生まれる。父は米沢の医師であったが箱館に移住した。
兄の洋春も当時の医学界に名を連ね、後年は町医となり医療に一生を送った。

鴻堂は越前丸岡藩の竹内玄同に医術を学ぶ。
玄同はシーボルトの弟子で蘭方3代医学者の1人である。鴻堂の功績はコレラの予防対策と施療にあった。

明治10年清国に発生したコレラは東京・大阪・長崎で流行したとの報告を受け予防に着手したが、8月類似コレラに患った屯田兵2名の乗船した汽船の入港により函館にも伝染者が多く出た。

15年、更に20年にも流行したが消毒予防の徹底、検疫を強化して被害を最少にくい止めた。

明治12年、在函露人の推薦により、露国皇帝より神聖アンナ第3等勲章を贈られる。

明治15年、函館県御用係医学所長・衛生課長・函館病院長の諸職を兼務する。

明治16年、勲6等に叙し、単光旭日章を授ける。

明治24年、函館病院付属医学講習所長職を辞して、富岡町に医院を開く。
後に船見町に移り、更に高砂町に新築した。

子孫は、松川町と宝来町で医療に従事している。

函館ゆかりの人物伝