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藤間 扇吉 (ふじま せんきち) 1888年~1956年

藤間流の道南普及の先達の1人として、全生涯を芸能に捧げ、郷土の芸能文化に貢献した藤間扇吉。

明治21年8月6日、大黒町36番地(現・大町)に生れる。本名は池田セイ。6歳の時、体が弱そうなのを心配して姉のかめが両親にかくして鶴家鶴之助師に習わせたのが邦楽舞踊の世界に入るきっかけとなった。鶴家鶴之助は、東京で活躍した歌舞伎俳優で、函館に芝居興行に来た際、芸者が惚れる程の美人でその上踊りの名手だったので有志が懇請して引き止め、函館の芸妓たちに舞踊を教えるようになった。
2年目のおさらいの時に出したおかるが評判となり、両親の耳に入りそんなに踊りが好きなら習わせようということになり以後公認となった。
幸、弥生小学校を経て女子高等小学校を卒業し、傍ら舞踊に精進して12歳の時早くも代稽古を勤めるようになり小鶴の名を許された。
17歳の時、西見番(後の巴見番)の芸妓(芸名静子)となり、今まで以上に舞踊に精励し、23歳の時上京する。師匠の紹介で藤間扇柴ら勢獅子を習い、大正8年6月10日、28歳の時藤間流舞踊の家元である藤間勘右衛門(勘翁)から鷺娘と浦島の教授を受け、その天分を認められて直ちに藤間扇吉の名を授与された。
その間鶴家の助手を勤めていたが30歳の時鶴家が帰京したので初めて舞踊師匠の看板をあげた。
大正10年、34歳の時大黒座において名披露目をした。
その際、後援者から寄せられた幟(のぼり)が、数百本を越え大黒、弁天、鍛冶の3町を埋めつくし芸界未曾有の盛況を呈した。
明治39年、伏見宮殿下御来函の折小林亭で静を演じ、北海道でこんな立派な踊りを見るのは意外だとお褒めに預かった。また昭和12年5月恩師勘翁の13回忌追善芸能祭が歌舞伎座で開催された時、檜舞台で松の羽衣を踊った。
太平洋戦争勃発の年、芸妓をやめ舞踊師匠に専念していたが、病(リウマチ)にかかり四股の運動も不自由となる。
大正末期に開軒して、昭和期には戦前戦後を通じて多数の名取りを輩出し、その門弟達は藤扇会の結成、また函館邦楽舞踊協会の活動を通じても、今日まで脈々としてその地歩を築き続けている。
扇吉が名前を与えた門弟は10名にものぼるが、現在、扇吉の流れを継いで活躍しているのは、2歳から手ほどきを受けた藤間扇世である。
昭和25年11月3日、生涯を芸能に捧げ郷土の芸能文化に貢献したことから、函館市の第1回の文化賞を受賞した。
昭和31年12月31日、藤間流の道南普及の先達の1人として、また函館市邦楽舞踊界に全生涯をうちこんできた藤間扇吉は69年の生涯を閉じた。

本文/「ステップアップ」vol.144(2001.3)より
(写真・資料/「藤間扇吉拾五年祭・藤扇会公演」パンフレット・藤扇会発行、「函館邦楽舞踊史」佐藤勘三郎著、隔月刊「邦楽舞踊」第31号・(社)北海道邦楽舞踊協会発行、「函館市文化賞第一回受賞者略歴」函館市発行)


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