財団の概要  関係団体リンク集

函館市文化・スポーツ振興財団 Foundation for Culture and Sport Promotion in Hakodate

〒042-0932 函館市湯川町1-32-1 函館市民会館内
TEL:0138-57-9734(代) FAX:0138-57-3115

野又 貞夫 (のまた さだお) 1901年~1976年

函館の私学教育に一生を捧げた野又学園の創立者、野又貞夫。

明治34年12月、旭川市にて生れる。亀田郡立日浦小学校から函館区立住吉小学校、函館弥生尋常高等小学校を経て、大正8年北海道庁立函館中学を卒業する。ただちに函館税関監吏となり、函館税関に配属される。
大正9年4月、向学の念に燃え、函館税関を退職して官立小樽高等商業学校に進む。12年、同校を卒業、函館水電株式会社に入社するが、一身上の都合で退社する。翌13年、函館大谷高等女学校教諭となり、教育に一生を捧げようと決意する。
翌14年教職にあること15年、教育に対する信念を貫くため、大谷高等女学校を退職する。同年4月、38歳で人間教育を通じて真の学問を授け、地域社会の発展に貢献する人材育成を目的に、学園訓三ヵ条(報恩感謝・常識涵養・実践躬条)を建学の精神として、函館計理学校(現・函館大学付属有斗高等学校)を設立、学校長に就任する。
昭和15年、同校を昇格して函館高等計理学校とし、引き続き校長に就任。翌16年、財団法人道南学院に組織変更して、理事長に就任した。
昭和18年、戦時処置として、同校は函館化学工業学校に転換したが、終戦に伴い、21年、函館計理商業と改める。23年、学制改革により、函館有斗高等学校と改称。また、道南学院を財団法人野又学園と変更し、26年に学校法人野又学園とした。
「有斗」という名の由来だが、「学園の建学の精神」によると、これは野又貞夫の小樽高等商業学校時代の恩師である伴房次郎校長に選んでいただいた名で、「如彼天有斗可人信為常」(かの天に斗あるが如く人は信を常とすべし)…天の道標は斗すなわち星であるように、人間生活の道標は信の1字に要約できるという言葉からとられた。
函館市の実業教育機関の一端を果すため、真に役立つ人材を養成するため、簿記、栄養、保育などの実務専門学校を設立した。昭和28年函館商科短期大学、並びに30年函館栄養専門学校(現・函館短期大学)を設立、同30年函館保母養成専門学院(現・函館医療保育専門学校)設立、34年に函館女子商業高等学校を開校(現・函館大学付属柏稜高等学校)、40年函館大学、そして41年には、函館短期大学付属幼稚園をそれぞれ設立した。
市会議員をはじめ、子弟の実業教育に専念し、市政に尽力した功積により昭和26年函館市制功労者として、また34年には産業教育功労者として表彰を受ける。
昭和42年、一貫して私学教育に専念し、本道私学の振興に貢献した功績により北海道知事より表彰を受ける。
多年子弟の育成に努め、教育の振興に寄与した功績により、昭和43年藍綬褒賞を、48年には勲三等瑞宝賞を、そして50年に函館市文化賞を授与される。
昭和51年10月、函館の私学教育に一生を捧げた野又学園の創立者、野又貞夫は75年の生涯を閉じ、特旨をもって正五位に叙せられた。

本文/「ステップアップ」vol.164(2002.11)より
(写真/学校法人野又学園、資料/古希記念「解道自楽」学園創立30周年記念 野又貞夫編著、「野又貞夫を偲んで」・学校法人野又学園発行、函館のルーツを探る「肖像画集」社団法人函館文化会刊行、取材協力/学校法人野又学園)


公益財団法人 函館市文化・スポーツ振興財団
〒042-0932 函館市湯川町1-32-1 函館市民会館内
TEL:0138-57-9734(代) FAX:0138-57-3115
財団の概要  関係団体リンク集

このウェブサイトに掲載の文章・イラスト・写真・音声その他のコンテンツの無断転載を禁じます。
© Foundation for Culture and Sport Promotion in Hakodate