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西出 孫左衛門 (にしで まござえもん) 1864年~1938年

石川県から北海道へ渡った大綱元で漁業会社を経営し、北洋漁業の基礎を作った温厚篤実な実業家。

元治元年2月、海運及び海産商を営む先代孫左衛門の3男として石川県江沼郡橋立村に生まれる。幼名を悌吉と称した。長兄は分家し、次兄は病にて夭折。3男の悌吉が父業を継ぎ先代を襲名して孫左衛門と改めた。
西出孫左衛門家は代々加賀国江沼郡橋立村字橋立に住い、大聖寺藩西出義門の分家であった。寛政8、9年の頃より大和型帆船をもって函館に往来し、往航には大阪、兵庫その他瀬戸内海沿岸の各都市より塩、酒、砂糖その他の日用品を積載し函館、福山、江差に至って販売し、復航には鰊粕その他の海産物を購入して大阪その他の各地に販売し、慶応、明治の前後には千二三百石より千八百石の大和船7、8艘を所有していた。その積下した貨物は問屋に委託販売、又は手代を残して売り捌いた。問屋は貨物を倉庫に保管して売捌の手配をし、秋から春に亘って魚粕等を買入れ、次の来航を待った。
孫左衛門は、幼少より北海の形勢に注目し、開拓事業の発展と共に、明治22年支店を函館海陸物産の集散の要衝であった西浜町に設け、春秋を期して本支店の間を往来し益々旺盛を極めた。孫左衛門25歳であった。その後事業を拡張してカムチャッカに漁場を開き、一族近親と共に匿名の組合を組織した。汽船栄久丸、福重丸を備え、漁期に際しては、物資及漁獲品の輸送に従事し、又西浜町の沿岸に倉庫を設けて物資及漁獲品を収容した。
ロシア領の漁業は、カムチャッカ・デジマチスキの3箇所、ムヒスキーの1箇所、合計4箇所で、その年々の収穫は年の豊凶に依って差異があっても鮭、鱒の漁獲高は3萬石はあったという。
孫左衛門は実業家としての手腕の外にも区会議員、商業会議所特別議員として又株式会社函館銀行の取締役としても社会に貢献した。
郷里石川県にあっては八十四銀行の取締役及大聖寺水電株式会社の社長としても活躍した。
赤十字社佩有功賞をさずかり、大正4年、今上陛下御即位御大典の際には、函館区公会堂(現・旧函館区公会堂)に召され、食事を賜った。
孫左衛門の名は享和元年(1801年)にみられる。ところが家伝によれば、その家はきわめて古く、越前朝倉家の家老篠島伊賀守の弟次郎三郎に始まる。次郎三郎は息子の次郎兵衛をつれて浪人となり、小塩村に移り住む。次郎兵衛は橋立にうつり、母方の姓西出を名乗り、船乗りを業とし、宝永7年(1710年)に没した。以後、源右衛門・孫次郎・孫左衛門と4代にわたり海運業を営んだ。悌吉は7代孫左衛門にあたる。昭和13年、その生涯を閉じた。

本文/「ステップアップ」vol.107(1998.2)より
(写真/市立函館図書館、資料/「開道五十年記念・北海道」鴻文社、「北海道史人名事典」、「北海道人名事書」、「北前船の時代」牧野隆信著)


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