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新島襄 (にいじま じょう) 1843年~1890年

箱館の港から日本を脱出し、近代田本教育の先覚者となったキリスト教牧師で同志社の創設者、新島襄。

天保14年1月14日、江戸神田一ツ橋小川町の上州安中(現・群馬県安中市)藩主板倉伊豫守勝明の邸内に父・民治、母とみの長男として生まれる。幼名は七五三太(しめた)。
幼児から祖父の厳しい教育を受け、早くから蘭学に志し、万延元年には江戸の海軍教授所において数学、航海学をも学び、文久2年には快風丸に乗組んで江戸から岡山に近い玉島まで航海する。
元治元年3月7日、江戸市中において偶然快風丸が近く箱館に航海するという話を聞いて箱館遊学を思い立つ。3月12日品川沖を出帆し、4月21日箱館港に着く。箱館遊学の目的は、武田斐三郎の塾へ入塾することと、外人に英語を学ぶことにあったようだ。
箱館は当時の開港場の一つで、英国、米国、露西亜の領事館があったが、英語を教えてくれる人は見つからず、ギリシャ正教のニコライ司祭と出会う。ニコライの日本語教師となり、ニコライの家に移り住む。そして英国商館の書記で英語が堪能な人物と出会う。後に”真の友“とお互いに認め合うことになる富士屋宇之吉(後の福土成豊)である。欧米の先進文化に共鳴した二人の情熱が将来の日本にとって必要であると信じ、決死の覚悟で結ばれた友情であった。
1ヶ月ほどたってニコライに海外渡航の熱望を打ち明け、その同意は得られなかったが、神明社宮司・沢辺琢磨や宇之吉の協力を受け、折から碇泊中のアメリカ船ベルリン号の船長セーヴォリーの好意により、国禁を犯して箱館港を脱出した。時に元治元年6月14日夜半であった。脱出後は上海、香港、マニラ、ケープタウンを経て慶応元年7月北米ボストンに到着する。船主アルフュース・ハーディー夫妻の好意によりフィリップス・アカデミーに入学。翌年、アンドーバー神学校附属の教会で洗礼を受け、アーモスト大学、アンドーバー神学校を卒業する。その間、アメリカ、ヨーロッパ諸国の学校教育制度の調査をする。
明治7年11月、10年4ヶ月ぶりに帰国。翌年、京都に同志社英学校を創設する。21年、「同志社大学設立の旨意」を全国に公表、私学教育の特性を訴え、キリスト教主義を徳育の基本とする自由教育を標傍する。
明治23年1月23日、大学設立運動に奔走中、神奈川県大磯で客死。47年の短い生涯ではあったが、近代日本教育の先覚者となった。
襄という名は、渡米の途中上海で乗り換えたワイルド・ロヴァー号の船長ティラーがジョーと愛称し、またハーディー夫妻にジョセフと呼ばれたことから略して襄とした。

本文/「ステップアップ」vol.245(2009.8)より
(写真/函館市中央図書館提供、資料/「函館市史」史料編第一巻、「日本歴史人物事典」「神山茂著作集」「同志社時報」、取材協力/函館市中央図書館)


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