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名村 五八郎 (なむら ごはちろう) 1826年~1876年

通詞としての業務のかたわら安政2年より英語教育を開始し、箱館において多くの通詞を育成。北海道英学の基礎を築いた長崎出身の名村五八郎。

名村五八郎は文政9年、代々オランダ通詞の家に生まれる。五八郎は生まれつき語学の天分に恵まれ、蘭語はもとより、英語・露語・漢学にも精通していた。
長崎の和蘭通詞は、文化年間ごろから英語を修業しはじめた。嘉永元年から翌年にかけては米国人ラナルド・マクドナルドが、約1年間和蘭通詞14名に英語を教えた。名村の名はその14名の中には見えないが、修業者中の森山栄之助・志筑辰一郎等の誰かから教授されたか、或は直接ラナルドから教えを受けたものと思われる。
安改元年、神奈川出役中に蝦夷地出向を命じられ、松前に至る。幕府の北方警衛・ロシア船対策のためであった。幕府は同年勘定吟味役村垣与三郎範正(淡路守、のち安政3年箱館奉行となる)・目付堀織部利煕(織部正、安政元年箱館奉行となる)の2人を北海道・樺太に特派したが、名村はその通訳・翻訳の任に当たる。この時の心情を自筆の「蝦夷地并カラフト島地日記」の表紙裏に“四月十五日松前に着し、蝦夷地に参り、御用相済、閏七月廿九日箱館に来り、八月箱館居残りの命を蒙り、翌年同所在住人となりたり、願くは故郷に帰り暝休せんと”と記しているが、その才能を認められて箱館在勤を命じられる。
当時箱館には蘭学者武田斐三郎成章が諸術調所教授として在勤していたが、会話能力はほとんどなく、英語についてもあまり知識がなかったようであった。このため名村はもっぱら通訳・翻訳の任に当った。安政期、箱館には英国領事ホジソン・米国貿易事務官ライス・露国領事ゴスケヴィッチが駐在していた。
万延元年1月22日、幕府は「日米修好通商条約」の批准書交換のため、遣米使節として新見豊前守正興を正使に、村垣範正を副使に任命し、77名の大使節団をアメリカへ派遣した。村垣副使は名村を首席通詞として随行させた。なお、このとき勝海舟はじめ福沢諭吉・中浜万次郎らが乗り組んだ護衛艦「威臨丸」が、日本人の手によって太平洋の初横断に成功した。そしてアメリカ第15代J・ブキャナン大統領との歴史的な会見に、名村五八郎(当時・箱館奉行支配定役格通弁御用)が首席通詞として登場した。
名村が遣米使節団の首席通詞として大任を果たし帰国した翌年(文久元年)の5月、箱館奉行は大町にあった運上所構内の別席(教学所)に、北海道で最初の「英語稽古所」を創設。名村に英語の教授を依嘱した。それは公務の余暇を利用して奉行所の子弟などを対象に英語稽古をさせるもので、通詞を養成することが第一の目的であった。
英語稽古所はその本来の目的にそって、多くの通詞たちを養成し、長崎通詞にも劣らぬ箱館通詞団を輩出した。設立4年後の慶応元年、名村は勘定格通弁御用頭取に任命され江戸詰となった。そのため英語稽古所は慶応元年6月に後任の堀達之助(江戸開成所の教授)によっで受け継がれ、のち洋学所と改称された。
安政元年箱館詰となり慶応元年江戸へ移るまでの11年間自ら通詞として活躍するかたわら、武田斐三郎の塾と共に多くの俊才を育てた。名村に学んで通詞となった者に塩田三郎・立廣作等が居る。
明治9年1月8日、東京にて逝く、享年49歳であった。

本文/「ステップアップ」vol.97(1997.4)より
(写真/井上能孝、資料/「箱館英学事始め」(道新選書3)井上能孝著、「名村五八郎元度の英語教育」石原千里著、「亜行日記」小西四郎解説)


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