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中村鎮 (なかむら まもる) 1890年~1933年

大火後の「銀座街」建設にあたり、自身の考案による「中村式鉄筋コンクリートブロック造」の建築を設計し、大正から昭和初期に活躍した建築家、中村鎮。

明治23年10月20日、福岡県糸島郡波多江村に中村彌次郎の次男として生まれる。
明治41年、福岡市の私立中学を卒業後、台湾総督府土木局に雇われ、台北水道水源地でRC(鉄筋コンクリート)造倉庫などの設計、現場管理助手を務めるが1年余りで依願退職し、早稲田大学理工科建築科に入学する。在学中「建築卜装飾」に評論を発表し、大正2年には同誌の編集主任を務める。3年卒業、翌年には陸軍技手になるが、6年病気のため陸軍をやめる。7年東洋コンクリート工業技師、翌年日本セメント工業技師長に転じる。コンクリートブロック構造の考案に手を染めたのは、両社在職中のことであった。9年5月、日本セメント工業を辞職、日比谷で建築相談所を開く。
大正10年4月14日、函館区の中心街蓬莱町・恵比須町などを焼失する大火があり、区会は街区改正と火防線の設立を議決。火防線は街路両側または片側の5間幅に防火建築を建てる構想で、甲種火防線として「銀座街」「二十間坂」が指定実施される。
函館大火を機に函館に赴き、自身の考案による中村式鉄筋コンクリートブロック造を用いて「銀座街」建設にあたる。同年、中村建築研究所を設立。特許中村式鉄筋コンクリートブロック造の普及、研究に努める。
中村式鉄筋コンクリートブロック構造の建築物は、大正9年以降、全国に119件あり、地域分布では東京周辺が最も多い。北海道でも30件あり、そのうち9年10月起工の映画館「錦輝館」を初めとして25件が函館で、その後の中村の活躍の出発点となった。利点としては(1)保温防湿(2)材料及び基礎の軽減(3)型枠の削除(4)施工の迅速(5)価格の低廉(6)外観の優良(7)配管配線の便利(8)耐震耐火性の8点があげられている。
大正15年には都市美協会を主唱設立。昭和3年には早稲田高等工学校で建築歴史学の講師を務める。8年、杉並区荻窪に自案の「新軽量構造」の自宅を新築し移住するが、同年8月19日、病にてその生涯を閉じた。
中村鎮は、学生時代から建築評論家として華々しい活躍をしたことで知られる。この頃の論調は建築の芸術性に重さを置くものであった。しかし、東洋コンクリート工業、日本セメント工業を経た大正9年以降は「経済を無視した建築は総て人間の夢だ、空想だ、幻想だ」「建築の形體は用途の進展に従い…構造の合理性に従いて変化す」というように大きく変貌している。
当時は、日本におけるRC構造の揺籃期であった。コンクリートブロック構造は明治30年代から試みられていたようだが、大正期に「アイデアルブロック」「ヤマトブロック」「酒井式ブロック」などの各種ブロック構造が考案されているのは、RC構造が確立普及するまでの過渡的現象としてよいだろう。中村式鉄筋コンクリートブロック造も、その延長上に改良を加えたものであり、鉄筋コンクリートブロック構造の揺籃期に大きな功績を残すものであった。

本文/「ステップアップ」vol.210(2006.9)より
(写真・資料/函館市史編さん室提供、資料/「日本建築学会北海道支部研究報告集・計画系55」日本建築学会北海道支部編発行(1982年刊))


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