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函館市文化・スポーツ振興財団 Foundation for Culture and Sport Promotion in Hakodate

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外山平治 (とやま へいじ)(初代)1861年~1912年
(二代目)1884年~1938年、(三代目)1921年~1988年

函館に於ける呉服太物卸問屋の巨頭として信用厚き斯業界の代表商店合外山商店の三代に亘る外山平治。

左から初代、二代目、三代目

初代・平治は、文久元年12月、越後国南蒲原郡加茂町(現・新潟県加茂市)に生れる。生家は煙草製造及び卸業を営んでいた。
明治22年、妻と娘を伴って僅かな資金を以て函館に渡る。こんにゃくを製造し、夜は内職として紙袋を張り商店におろし、僅少の蓄財を得る。
明治25年、東川町に於いて質屋業を営み次第に財を成し、区内屈指の質商と目されるようになる。28年にはその傍ら越後産手織木綿の卸業を兼営。翌年には同町に店舗を新築し、越後手織縞のほかに各地の織物の卸商として営業規模を拡大し、その販路も全道一円に及び卸問屋としての基礎を不動のものとした。
明治33年5月、末広町に進出する。質屋業を廃し全国の織物卸問屋として発展を遂げ、36年秋には、地蔵町(現・豊川町)に店舗を移転、呉服太物(太物=絹繊維を呉服というのに対し、綿織物・麻織物など太い糸の織物の総称。)問屋としての□(ヤマ田)外山商店の名声は全道に広まっていった。
二代目・平治は明治17年12月5日、初代平治の長男として父と同じ加茂町に生れる。幼名を平造と称した。
明治27年11歳の時、加茂町を離れ父の許で宝小学校に入学。卒業後は鍛冶町(現・弥生町)の宗戸清七質店で商売を学ぶ。32年同店を辞して、父の経営する織物卸業に従事する。
大正元年8月8日、父が他界するや、僅か28歳にして家業を継ぐ。8年には36歳にして函館区会議員に当選。11年、第1回市会議員に当選。13年、函館商業会議所議員に当選。昭和7年には商業部長に推される。
昭和7年以来、函館市織物卸商組合長、函館呉服商組合長としてその要職にあって業界の指導にあたり、9年大火後の函館復興のために渾身の努力を傾け、函館区画整理組合地区副組合長、復興土地区画整理組合連合会議員、同復興補償審査員等を兼ねて復興に尽くした功績は函館市の歴史と共に不滅のものである。
三代目・平治は大正10年4月16日、函館に生れる。幼名を義治と称した。
昭和13年9月3日、父の死去により当時函館商業学校在学中の身ながら家業を継ぎ、平治を襲名する。
昭和16年、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を卒業。
昭和17年の企業整理により一端休業のやむなきに至るが、ひとたび統制が解かれ呉服問屋を再開するや、長い間に培われた古い地盤や堅い信用がその真価を発揮し、木綿太物、足袋メリヤスを主体とした繊維全般を扱う呉服問屋として仕入先の絶対の信用の下、全道一円は下より遠く津軽一帯に販路をひろめ、先代以上に実績を上げ大いなる発展を遂げた。
昭和63年6月5日死去。

本文/「ステップアップ」vol.265(2011.4)より
(写真/「開道五十年記念 北海道」「函館市と新潟県人」、取材協力/函館市中央図書館、資料/「開道五十年記念 北海道」「函館市と新潟県人」「北海道人名辞書」「函館市要覧」「北海道新聞」昭和63年6月7日付け)


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