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登坂良作 (とさか りょうさく) 1891年~1982年

戦時から敗戦までの多難な市政を双肩に担い、その大任を果たした第7代函館市長・登坂良作。

明治24年1月4日、新潟県北蒲原郡新発田(しばた)町(現・新発田市)に登坂岩内の四男として生まれる。登坂家は代々医を業とする土地の名家であった。
登坂良作は年少の頃より秀抜で、県立新発田中学、仙台第二高等学校を経て、東京帝国大学英法科に学び、大正6年同校を卒業する。同年日魯漁業会社の前身函館の堤商会に入社するが、その豊かな学識と業務手腕は早くも認められるところとなり多くの社員の中から擢んでて重宝された。2年間北洋漁業に就くが、8年弁護士を開業し一般法律事務に従事するやその高い識見と広い学殖はたちまち同職の先輩にも認められるところとなり、函館法曹界の逸材として畏敬されるようになる。
登坂良作は、温厚にしてきわめて誠実で、その高潔な人格は洗練された風姿と共に万人に好感をもって迎えられ、函館の代表的人格者として名声がすこぶる高かった。
大正11年、市制第1回の函館市会議員に当選。以来再選されること5期、昭和9年市会改選されるや市会議長選挙の結果、衆望をもって議長の栄職に就く。大正15年まで道会議員に当選し2期再選する。昭和10年、衆議院議員補欠選挙が行われるや、政友会より出馬して13000余票を得て、見事に初陣を飾り、2期務め政界にも大きな足跡を残す。選挙の立候補に際しては、相手候補者と政友会公認争いの結果ともなろうとしたが、登坂良作は公認、非公認をあえて意に介するところもなく、また先輩に対する謙虚の美徳により、争いにはならず、真に自力候補者として争った。登坂は政友会に所属して、市会議長に就任するにしても、ほとんど敵はなく、仮に敵があるとしても敵味方というよりその徳を慕われつつあった。
昭和3年から函館慈恵院の監事として社会事業にも力を尽くす。
昭和17年6月、全市民の願いを担い、また市会の満場一致をもって第7代函館市長に推され戦時から敗戦までの多難な市政を双肩に担ってその大任を果たし、21年5月任期満了と共に20万人の市民の絶大な感謝に送られてその職を辞した。
義兄(平塚常次郎夫人の妹が登坂良作の妻)で日魯漁業の創始者・平塚常次郎が、市長になった記念にと市庁舎を寄付したことは有名な話。
昭和57年11月11日、急性肺炎のため入院先の共愛会病院で死去。享年91歳だった。

本文/「ステップアップ」vol.253(2010.4)より
(写真/函館市中央図書館、取材協力/函館市中央図書館、資料/「函館名士録」、「函館市と新潟県人」、「北海道人名辞書」、「函館市要覧」、「はこだて財界」昭和57年8月号、「北海道新聞」昭和57年11月12日付)


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