函館市文化・スポーツ振興財団

田中 佐吉 (たなか さきち) 1899年~1976年

北は旭川、釧路、南は青森、浅虫、弘前の各見番に師匠として通い、我が国邦楽長唄噺子界の重鎮として活躍した“田中のお師匠”さん。

明治32年1月31日、東京都中央区日本橋通2丁目11番地の足袋問屋に生まれ、本名を金田芳太郎という。少年の頃、長唄の唄方を志望し15歳で芸界に入り、修業を重ねるうちに17歳の時鳴物に転向し、望月長九郎の高弟五世田中佐次郎に師事し、後内弟子となって刻苦精励噺子の奥儀を体得した。25歳で師匠となり、大正9年来函する。後の12年9月の関東大震災に罹災し、同年10月10日、青雲の志を抱き杵屋十作を頼って当時未開地扱いにされていた北海道に渡り函館に定住した。初め宝来町に稽古所を開き、間もなく湯ノ川芸妓置屋組合稽古所の嘱託師匠となり、次いで市内3ヶ所に稽古所を設けた外、懇望されて青森見番に出稽古をするようになった。稽古は厳格であったが、懇切でありまた情誼に厚かったので子弟に敬愛され、その評判を聞いて遠方より指導を懇請する者が多く、旭川、室蘭、釧路にまで出張稽古を余儀なくされるようになった。従って非常に忙しい身となり、安らぐ日もなく「時は金なり」との金言を身を以て体得し、知らない人には狂的と思われるまでに時間に神経質になった。
函館邦楽舞踊協会研鑽会が定期開催で有名になったのも師に負うところが極めて大きい。門人を以て「青鳥会」を組織し自ら会長となって芸道の向上進歩に精励している外、「VKともえ会」を結成して放送文化に協力している。東北・北海道における噺子の第一人者であることは自他共に許すところで、函館は勿論全道の芸能文化に貢献した功績は実に偉大である。
昭和26年11月3日、第2回函館文化賞を受賞。翌年6月15日、函館放送局及び函館邦楽舞踊協会の後援で、渡道30年、函館文化賞受賞記念名ひろめ大会を巴座で開催、全市芸能帥匠の賛助出演があり、当時の芸界稀に見る盛儀であった。
昭和51年12月7日、道内、東北地方の邦楽邦舞界リーダーとして、また各地の長唄演奏会、邦舞踊会の地方(じかた)として、約半世紀にわたり活躍し続けた田中佐吉は、元町の竹田病院で脳軟化症のため77歳の生涯を止じた。

本文/「ステップアップ」vol.84(1996.3)より
(写真・資料/「函館邦楽舞踊史」、「田中佐吉師喜寿芸歴五十年・長唄はやし演奏会」誌、北海道新聞昭和51年10月9日朝刊)

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