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武内 収太 (たけうち しゅうた) 1905年~1982年

北海道文化のために半生をささげ、博物館建設をライフワークとした初代市立博物館館長。

明治38年、後志支庁泊村に道産子の6代目として生まれる。
大正13年、札幌師範卒業後、応召して大陸に渡り、軍務のかたわら中国古代美術の研究に没頭、部隊長から「おまえは中国に何をしにきたのだ」と怒られたという。このことが博物学、考古学への道へと導いた。
昭和23年、市立函館博物館の館長となる。中央アジアでの抑留生活を終えて復員した直後であった。同時にこの年、博物館建設が決まった。しかし五稜郭分館もなかった頃なので、いわば”建て物のない博物館“の館長だった。この後市立図書館に事務室を置く間借り生活が17年間も続く。就任の翌年には、当時、登呂遺跡、モヨロ貝塚とともに日本の三大発掘といわれた渡島管内亀田町のサイベ沢貝塚発掘に取り組み、2ヵ月間、延ベ2千人の学生、生徒を動員して多くの貴重な資料を収集した。
昭和26年、ようやく博物館建設工事が始まったが、予算不足から工事がはかどらず、一時は札幌の道立博物館に”身売り“しようという話も出たが、もともと彫刻家で”芸術かたぎ“の抜けない武内収太は身売り話に猛烈に反対「函館の教育文化向上のためには、地元に博物館が必要だ」と譲らず、一時は”博物館きちがい“とあだ名されるほどだった。
昭和29年8月、後志管内寿都町樽岸村(現・黒松内町)の学術調査で、本道最古の旧石器文化(約2万年前)を発掘、この出土品は道文財に指定されただけでなく、発掘調査の成果は、中・高校の教科書や考古学関係の出版物にも掲載された。
昭和41年4月、函館公園内に建設中だった市立函館博物館本館が全工事を終え、実に15年ぶりに完成、一般に公開された。”全国十指にはいる博物館“との折り紙付きで、函館山を背に、遠く恵山岬をのぞむ函館の名所のひとつとなった。しかし、博物館本館の完成がライフワークと18年間、情熱を燃やし続けた武内収太は開館を目前に、3月31目付けで館長の椅子を離れた。これは市の退職勧奨制度によるものだった。この時武内収太は「私が館長を辞めても”育ての親“が立派に運営してくれると思う。博物館ができて良かった、と10年、20年後に市民が感じてくれれば本望だ」と語っている。
また、彫刻家としても名を知られ、高田屋嘉兵衛記念碑、伊能忠敬記念像などがあり、箱館戦争、武田斐三郎伝、サイベ沢・樽岸遺跡等の発掘報告書の著書があるほか、全道的な文化活動を通じて、函館市の文化の向上、発展に寄与した。
昭和42年、北海道文化奨励賞、50年、日本博物館賞、そして51年には函館市文化賞を受賞している。
昭和57年11月3日、脳卒中で入院中の道南病院で死去、享年77歳であった。

本文/「ステップアップ」vol.128(1999.11)より
(写真/市立函館博物館、資料/「北海道歴史人物事典」北海道新聞社編、市立函館博物館館報「サラニップ」、北海道新聞、読売新聞、取材協力/市立函館博物館)


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