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武田 斐三郎 (たけだ あやさぶろう) 1827年~1880年

五稜郭、弁天台場の築造、諸術調所の開設をし、終生人材育成に尽力した当代ー流の科学者。

文政10年9月15日、伊予大洲藩士武田敬忠の2子として生まれる。著名な蘭学者。名は成章、斐三郎と称し、竹塘と号した。初め詩を学び医学を修めた。郷関を出て大阪に上り緒方洪庵に就いて蘭学を学び、後に江戸に出て、伊東玄朴に就いて学んだ。さらに英仏2国の学を修め、特に航海、築城、造兵の料目に励んだ。嘉永6年米国水師提督ペリーが浦賀に来航した際、出向いて調査した。
安政元年3月堀織部正と村垣与三郎に従って蝦夷地出張を命じられ随行した。ここでもペリーとの応接に立ち合いその後10年間は奉行と斐三郎の信頼関係は深いものがあった。翌2年幕府が蝦夷地直轄、箱館詰を命じられ、器械、弾薬製造の任につき、亀田役所(五稜郭)、弁天岬砲台の築造及び諸術調所置を計画した。またこの年商人小島家の娘美那子と結婚した。翌3年諸術調所を箱館に設置し、斐三郎はその教授役に任じ、10人扶持その他の手当を給せられた。
また斐三郎は江戸における官設学校は、幕士、藩士の区別が厳格で天下の人材を教育する道ではないと考え、寮中のものは身分の公私貴賎に拘わらずすべて学術の成績によって等級を分け、これを奨励した。向学心に燃える青年達が集まって来た。山尾庸三、前島密、井上勝、蛯子末次郎、水野行敏、今井兼輔の名士を門下に輩出した。この年、五稜郭及び弁天岬砲台の築造に着手し、数年を経て落成した。この2工事は蘭書によって設計し、当時としては実に新式にして堅牢を極めた。中でも弁天岬砲台は最も善美を尽したものといわれている。この砲台は明治29年函館港改良工事の時に取り壊される際、当時工事を担当した工学博士広井勇は、建築の精巧なことは今日のものに比べてもまったく劣ることがないと嘆じ、榎本武揚もまた安政の昔に在ってよくこの大業を成し得たものであると激賞した。
斐三郎は門生を教導したことは勿論、またこれを実地に試みようと、我国で始めての洋船「箱館丸」に乗り込み、門生を率いて航海に出た。また「亀田丸」では、航海測量をしながら露領ニコライスキーに行き交易を行なった。4ヵ月にわたったこの航海は日本の航海史上特筆すべき事であった。斐三郎は箱館において11年、元治元年春江戸に帰っていった。そして開成所教授となった。明治4年兵部省に出仕し、累進して砲兵大佐となり、士官学校学科提理となり、従5位に叙せられた。明治13年1月28日病にて没した。54歳であった。
著に「北役紀行」、「黒龍江紀事」、詩稿等がある。

本文/「ステップアップ」vol.61(1994.4)より
(写真/函館市中央図書館蔵、資料/「北海道人名字彙」河野常吉著、「函館人物誌」近江幸雄著)


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