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高村善太郎 (たかむら ぜんたろう) 1872年~1963年

函館魚市場の基礎を築き、函館市の産業振興に多大なる尽力をされた高村善太郎。

明治5年4月22日、父・作太郎、母・れつの長男として金沢高柳村(現・金沢市高柳町)に生まれる。
明治26年2月、故郷を後にして、函館へいったら何とかなるだろう、何でもやってのけようという堅い覚悟と決心をもって函館にやって来る。しかし、上陸はしてみたものの、泊まる場所も決まっていなければ、知った人もいない。ただ漫然と大町から弁天町の街はずれを歩いていると1軒の宿屋があった。持っていたものは小さな風呂敷包み一つ、これが財産の全てであった。この宿に滞在するが、働かなければご飯を食べることが出来ない。街を歩いていると、鰊場の「雇」を募集していたので、早速これに応募して、漁夫となって働くことになる。奥尻から厚岸の小鰊漁場へ、そこから根室に出て、珸瑶瑁諸島(ごようまいしょとう)にある志発島(しぼつとう)へ渡り、昆布苅りの職に就く。この年の10月、若干の金を懐に帰函する。
明治27年3月、五十集(いさば・魚商)の仕事を始める。28年、函館魚商組合に加入し、鮮魚処理の労務に従事する。美国(積丹)へ出稼ぎに出て番屋で働く。この年は鰊が豊漁で、ここで越年する。翌年も美国に滞在し、鰊漁期間中は漁場で働く。11月、函館へ帰り、天秤棒を担ぎ、包丁を握って五十集屋をする。
明治32年、蓬莱町に一軒の貸家を見つけて、ささやかながら「かまど」を持ち、漁商を始める。38年、函館漁商組合長に推される。
大正10年、函青汽船(株)の取締役社長に推される。13年、函館漁商市場(株)の取締役社長に就任する。
昭和4年4月、宇田事件(島徳事件)が勃発。北洋漁業基地の権利を函館から奪取しようとする陰謀が現れ、大騒動となったが、函館市民は、露領漁業権擁護同盟会を結成し、有志者が上京して運動をする。善太郎は手弁当で約1ヶ月半滞京して身を挺して努力し、功を奏して帰函する。
昭和5年7月、函館水産販売(株)を創立し、その常務取締役に推される。9年1月、(株)函館魚卸売市場の取締役社長に推される。この年、函館市会議員に当選。11年8月、函館定温倉庫(株)を創立して真藤慎太郎を社長に推し、後に社長に就任する。10月、陛下本道御巡幸の砌札幌市で賜餐(しさん)の栄に浴する。12年5月、平塚常次郎と共に東京魚市場(株)と四日市水産(株)の合併問題に尽力し、目的を達成する。他にも、函館漁商市場(株)(後に函館水産物(株))社長、函館製粉(株)社長、などを務め、函館市会議員に当選3回。
昭和38年2月28日、海産業界のみならず、運輸・倉庫その他の会社や組合の役員にも推され、函館繁栄の基礎確立に大いに尽力した高村善太郎は、92年の生涯を閉じた。

本文/「ステップアップ」vol.296(2013.11)より
(写真・資料/「高村善太郎伝」神山茂編集、高村善太郎伝刊行会発行、取材協力/函館市中央図書館)


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