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代島 剛平 (だいじま ごうへい) 1816年~1874年

精神教育に励んだ神道家、代島剛平。

文化13年9月生まれの元松前藩士だったが箱館に住み、町方頭取を勤める。
天保年間、森重流砲術を天野嘉右衛門に学び、砲術教授を命じられる。また、京都の永田市次郎に就いて柔術、剣術を修める。
弘化年間、鳥取藩士西川晩翠に心学を学び、夜間市民を集めて心学道話(※)を講述し、市民の教化に務める。
嘉永年間、剛平は藩主松前崇広に願い出て広島県南東部の福山に至り、同藩師範役竹田作郎に就いて西洋砲術ならびに兵隊操練を学ぶ。間もなく箱館に帰り西洋砲術教授を命じられ、在住藩士の訓練に当たる。また、砲台総司を命じられるが、砲台改良を藩主に提案し、4年弁天岬、山背泊、押附の三砲台の改築掛および常備戦砲十門の製造掛を命じられる。着工にあたり、市民数十人が工事を手助けし、有志のものは製砲の材料に銅器を差し出した。藩はその功績を讃えて士班一級に昇格させた。
当時、箱館の商人渋田利右衛門は江戸箱館間を往復し、勝麟太郎(勝海舟)と親交があり、麟太郎は利右衛門から剛平のことを聴くに及んでしばしば書を剛平に寄せて時勢を論じ、海防の策を述べたといわれる。
安政元年3月、米国使節ペリーの来港の際、および9月露国使節プチャーチンの寄港の際は、共にその応接掛を命じられる。
安政2年、幕府は松前藩に申し合わせて剛平を箱館奉行支配定役に任じ、町方掛とし、かつ亀田、五稜郭および弁天砲台築造掛、尻岸内熔鉱炉築造掛を命じる。
文久年間、銃砲製造監督を命じられ、福井県中部の越前府中に出張する。慶応年間、さきに赤川の水を五稜郭内に引き飲料水にした例に倣い、これを箱館市内に引こうと計画し、請負業者備前喜三郎に設計させたが、その費用が莫大なために中止することになる。
明治元年4月、政変に際し感じるところがあり亀田村に帰農する。箱館府が東蝦夷地白老に在る仙台兵を討伐のため官兵一隊を派遣した時、剛平は給事席に任じ、小荷駄掛を命じられ出張する。ついで十勝在勤を命じられ、2年に辞して函館に帰り、後曙町の自宅に小学校を開き子弟を教育する。また夜間は市中の紳商等十数名が来て道話を傾聴する。これを明正会といった。
明治6年、堀秀成、深川照阿、七星正泰等と申し合わせ、東川町に中教院を興して神道の布教を行い、11月教導職少講義に任じられ、翌7年10月5日、病にて死去。享年59歳。

※心学道話とは神・儒・仏の3教を融合し、その教旨を平易に説いたもの。

本文/「ステップアップ」vol.254(2010.5)より
(写真・取材協力/函館市中央図書館、資料/「北海道史人名辞典」、「函館・道南大事典」、「函館市功労者小伝」、「函館教育史」、神山茂著、「北海道と宗教人」、須藤隆仙著、「函館人物誌」近江幸雄著)


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