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杉浦 誠 (すぎうら まこと) 1826年~1900年

幕末の激動する政局の中で、最後の箱館奉行と呼ばれた開拓使函館支庁主任杉浦兵庫頭。

文政9年1月9日、幕臣久須美三郎の子として生まれる。後に代々幕臣である杉浦家の養子となり、杉浦8代目の家督を継ぐ。
誠は、初名を勝静、字を求之、通称を正一郎のち兵庫頭、号を梅潭といった。鉄砲玉薬奉行、洋書調所頭取を経て文久2年8月24日、目付となった。翌3年7月23日、長崎奉行へ転じたが6日後の7月29日、再び目付けとなり、元治元年6月17日にその職を辞した。
慶応2年1月18日、箱館奉行となり3月26日江戸を立ち陸路で箱館へ向かい4月21日当地に到着する。当時、開港場箱館は外交上の問題が多発、治外法権下のこととはいえ全てにおいて困難を極めた。英国公使館員アイヌ人骨盗掘事件などはその一例である。翌3年9月17日からは勘定奉行を兼任。10月14日徳川慶喜が大政奉還を請うことにより徳川幕藩体制から新しい体制へ変わろうとしている時に杉浦誠は五稜郭に居たのだ。この内政面での変動期とくに明治元年に杉浦誠が幕閣に提出した建白書からこの時期の様子をかい間見ることができる。「本島差し上げの朝命があっても、江戸からの下知があるまでは従わない積り。聞き入れられない場合は血戦も止むを得ない。江戸より引き渡すなとの命令があれば防戦するが、その場合、当島の維持はきわめて困難である」と王政復古で幕府が廃絶となった以降の蝦夷地の処理について述べている。王政復古で幕府が倒れ、江戸城明渡した後も箱館にとどまり、奉行所のあった五稜郭を新政府の箱館府知事清水谷公考に引渡した後、江戸へ帰任する。
明治2年7月、開拓使が設置されると、その経験を買われて同年末、函館の開拓使出張所に主任宮として着任する。開拓権判官に起用されたのは、その手腕を必要とされたからだった。依然として対外事件が多発したが、自重して大過なきを得た。また、8年、江差漁民騒動の際には敏速果敢に対処し、黒田次官とともにこれを鎮圧した。
明治5年に開拓少判官。その7ヵ月後、同中判官に進み、さらに3年、3等出任を以て退官となる。かくして北地函館の行政官としてほぼ9年にわたり民政に尽力した。
明治10年、開拓使の任を終え挂冠。函館を去ったのちは、稲津南洋、石川桜所らと「晩翠吟社」を起こし詩作に打込む。そのため彼の名は全国的には、漢詩人杉浦梅潭として知られている。
明治33年5月30日に死去するまでの23年間は世事を解せざる如く吟味自ら娯しんで終った。享年75歳。

本文/「ステップアップ」vol.131(2000.2)より
(写真・資料/「杉浦梅潭・日付日記・箱舘奉行日記」杉浦梅澤日記刊行会発行、「五稜郭からのメッセージ」市立函館博物館発行、「北海道歴史人物事典」北海道新聞社発行、取材協力/函館市史編さん室)


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