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杉崎郡作 (すぎさき ぐんさく) 1884年~1973年

貧因と苦労に培われた負けじ魂で一代を築き、社会奉仕に全生涯を捧げ、“函館の杉崎”から全国に“北海道のクマ”との異名を馳せた初代北海道社会福祉協議会会長・杉崎郡作。

明治17年10月17目、福井県丹生郡天津村(現・清水町)にて宮大工、父・杉崎岩松、母・くらの長男として生まれる。
明治30年3月、三方村三留尋常高等小学校補習科卒業後、北海道開拓移民に応募した両親・3人の弟とともに来道、函館に移住する。
明治31年、苫小牧のマッチ工場に勤める。後に一家も同地に移住する。
明治40年8月25日、函館大火で約8900戸が焼失。父・岩松の大工仕事の思慮もあり、これを機に杉崎一家は苫小牧より函館に移住する。41年、郡作は旭町9番地において廃品収荷業杉崎商店を開業する。
大正11年、北海道で初めて保導委員制度(現在の民生委員)が設けられ、その委員に任命される。
昭和9年3月21日、函館大火で杉崎商店焼失。この年の7月、同じく被災した容器業者、四方商店と合併して法人組織に切り替え、社名を輪違合同容器株式会社とし、旭町にて新発足する。郡作はこの函館大火で、社会奉仕がいかに必要なことなのか、あらためて知り、一生民生事業に身を投じようと心にかたく誓う。
昭和11年、函館商工会議所議員に選任される。14年、函館市議に初当選する。
昭和16年、使用済み空缶集荷のために北海道空缶株式会社が設立され、本店を函館に、支店は小樽と釧路に設置され、函館本店の社長に就任。全国組織の統制会社、日本空缶株式会社の専務に就任する。
昭和20年3月、郡作の提言と熱意により「松陰母子寮」が完成。母子世帯が入居し、子どもの教育や母親の自立更正のため、民生事業でも特筆される運営が行われる。同月、紺綬褒章受章。21年11月、民生事業功労者として厚生大臣の表彰を受け、12月には皇太后陛下より賞状を受ける。23年11月、開道八十周年記念民生事業功労者として表彰される。この年、社会福祉活動に専念するため、函館市議を辞任する。25年、民生委員の功労者として藍綬褒章を拝受し、受賞者60人を代表して天皇陛下にお礼の言葉を述べる。26年、函館市社会福祉協議会会長に選ばれ、同時に北海道社会福祉協議会の初代会長に就任する。
昭和27年、宮前町に段ボール製函工場を新設。30年10月、函館商工会議所鉱工部会会長に就任する。35年3月、社名を合同容器株式会社に変更する。
昭和33年、第12回北海道新聞文化賞受賞。39年、勲四等旭日小綬章受賞。
昭和43年、46年間奉仕を続けた民生委員を辞任するが、翌年私財2100万円を投じ育英事業、福祉事業のために「財団法人杉崎奉公会」を設立する。同年、貧困者を救済する社会福祉事業への功績により、北海道開発功労賞の第1回受賞者の一人に選ばれる。
昭和48年3月11日、杉崎郡作逝去。享年88歳であった。

本文/「ステップアップ」vol.219/(2007.6)より
(写真・資料/「合同容器五十年史」、「函館のルーツを探る肖像画集」(社)函館文化会刊行、「北海道歴史人物事典」北海道新聞社編、「北海道開発功労賞・受賞に輝く人々」、「函館名士録」、取材協力/函館市中央図書館)


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