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菅原キミ子(1919~2013)(すがわら きみこ) 1919年~2013年

函館を代表した古き良き時代の料亭「松源」の女将、菅原キミ子

大正8年5月31日、海運業を営む渡辺与治とキヨの二女として、相生町(現・宝来町)に生まれる。
大正15年、住吉小学校(現・青柳小学校)に入学。体を動かすことが大好きで、夏は七重浜の水泳教室に通い、運動会ではリレーの選手に選ばれるなど、スポーツ万能な子どもであった。そんなキミ子に不幸が訪れる。6年生の4月、姉・ヒデ子が風邪をこじらせて亡くなり、母が末の妹・ケイ子を産んだ3日後に急性肺炎で35歳の若さで世を去る。父が再婚。天真爛漫だった母とは対照的に、新しい母・クニは信仰心に厚く、躾けに厳しい人だった。後にこのことが「松源」の仕事に大いに役に立ってくる。
昭和7年、遺愛女学校に入学。陸上競技に打ち込み、将来は体育学校に進もうと、日々練習に励む。歌うことも好きで、毎日学校で賛美歌を歌い、教会の聖歌隊にも入る。
昭和11年、東京で二・二六事件が起きるなど、時代は不穏な空気が流れ始め、憧れだった体育学校への進学をあきらめる。卒業後は、和裁を習い、父の仕事を手伝うことに。
昭和17年、最初のお見合い相手菅原登と結婚する。義父の源太郎は運送業を営み、港湾会社役員や映画館経営なども行っていた。
昭和21年、大相撲の勧進元でもあった義父が戦前活躍した元幕内力士・松前山に資金提供して料亭「松源」を開店。松前山と源次郎の名前から一宇ずつ取り、命名した。
昭和23年秋、夫の登が結核を患い入院。2年余りの闘病の末、26年帰らぬ人となる。松源では、松前山が店を離れ、店は仲居さん達が切り盛りし、帳場は親類が見ていた。店は繁盛していたが、いつまでも店を人任せにしておくわけにはいかない「もう店を閉めよう」と思うが、周りの説得により3人の幼い子どもを育てるためにも女将として働こうと決心する。着物は仲居さんから貸り、着付けもやってもらい、小唄などは知らずお座敷で賛美歌を歌い、酔ったお客さんに「もうお酒はやめなさい。体に毒です」と進言したり、おおよそ型破りな女将だった。
お客さんは、漁業会社をはじめ、銀行や証券、保険会社の支店の人たち、そして旅行客など様々で、「楽しい時ばかりでなく、悲しい時、人生で大変な時」には松源を思い出し訪ねてきたという。
昭和60年、大学を卒業した長男の進が店を手伝うようになり、本町の実家で支店「まつげん」を開店させる。
平成17年8月30日、60年近く続いた古き良き時代の料亭「松源」はその歴史に幕を閉じた。
平成25年3月1日、料亭など全く未知の世界で、函館でも指折りの女将となった菅原キミ子は、肺気腫により死去。享年93歳だった。

本文/「ステップアップ」vol.325(2016.4)より~函館ゆかりの人物伝最終回(vol.305)
(写真・資料提供/菅原 進氏
参考資料/北海道新聞「私のなかの歴史」、「函館食べたい読本」亜璃西社発行)


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