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白土 誠太郎 (しらと せいたろう) 1890年~1962年

将棋の普及発展に一生を捧げ、札幌の福井資明8段ととに北海道を“将棋王国”とする礎を築いた白土誠太郎7段。

明治23年、茨城県日立市で堂守をしながら雑貨商を営んでいた白土清之丞の長男として生れる。幼いころから将棋が強く、高鈴尋常高等小学校卒業後東京の魚河岸で働きながら技を磨く。この頃まだ少年だった14世名人・木村義雄とも指したことがあると、後年家人に話している。
大正4年、函館に居住する。自ら船を仕立て、東京から函館に出かけてきては海産物を買って帰り、それを売りさばく海産物商を営んでいた。だが函館にやってきたある時、船がひどく傷み、修繕しようとしたが多額の資金と長い時間がかかるといわれ、商売をすっかりあきらめ好きな将棋で身を立てることを決心した。そして知人もできていた函館に道場を開設する。大正14、15年といわれる。
「白土道場」は、函館駅の近くにあった。2階建ての自宅で、席料だけではとても食べていけず、2階を旅館にしていた。まちの将棋愛好者が多数出入りしていた。だんな衆、ご隠居さん、軍人と多彩だった。こんな大人にまじって少年たちもよく通っていた。誠太郎は子供たちをかわいがり、強い子からは席料を取らず、プロ棋士を育てる夢を描いていた。一方で、海産物の仲買も続けていた。全国各地を飛び歩いていても頭から将棋のことが離れず、プロ棋士をたずねては親交を結んだ。また珍品のコマや盤を買ってきては例会の賞品とし、少年棋士たちの精進の励みにした。
誠太郎は几帳面な人で、日記のなかに将棋哲学を記している。〔終始一貫の年〕…将棋はお互いの智を闘わし、技を競い、その優劣に依って勝負を決する。技が高く優れてくれば、技は術となる。術がさらに洗練されて精妙の域に至れば芸となる。したがって将棋も芸という境地に至ればいわゆる道に通じる。究極は芸に至るまでの修行であって、この点は将棋も一般の芸道と同様といえる。一つ一般と大きく違うところは、ハッキリと勝負がつく。〈中略〉芸道修行が人生修行と通ずるとすれば勝負道も生存場裡における優勝劣敗に通ずる一芸に至る。(昭和35年元旦の日記より)
日本将棋連盟の正会員ではなかったので、中央での活躍はないが、道南では数多くの将棋ファンを育成、札幌の福井資明8段とともに北海道を”将棋王国”とする礎を築いた。
昭和25年将棋連盟から「地方有力棋士」として異例の6段を贈られたあと、35年に7段に昇る。古くは関根金次郎13世名人、花田長太郎9段、渡辺東一名誉9段らと親交が厚く、中央棋界との結びつきは特に密なるものがあった。又渡辺門下に函館出身の二上達也9段、北村昌男8段、佐藤大五郎8段を輩出させた功績は大きい。
昭和37年1月11日夕刻心臓マヒのため急逝した。享年71歳であった。
生前、将棋を通して親交のあった作家・菊池寛から送られた言葉「人生のなかに将棋あり、将棋のなかに人生あり」が好きでその色紙をまくら元にまで飾っていた。
墓は札幌の里塚霊園にあり、コマの形に彫ってある。

本文/「ステップアップ」vol.102(1997.9)より
(写真/「函館名士録」、資料/「函館名士録」、「北海道歴史人物辞典」北海道新聞社編、「北海の王将」中島正男著、北海道新聞”人脈北海道”腰塚清一著)


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