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塩田順庵 (しおだ じゅんあん)(1805~1871)

塩田三郎 (しおだ さぶろう)(1843~1889)

市立函館病院の前身に尽力した医師・塩田順庵と父順庵に従って箱館に赴き、漢学、英学、仏学を習い通弁御用(通訳官)となった外交官・塩田三郎。塩田順庵

塩田順庵
文化2年、宮河白峰の子として加賀(石川県)金沢に生まれる。幼少から神童といわれた秀才であった。
天保7年、江戸に上がり増島蘭園に就き儒学を学ぶ。32歳の時、幕医(※幕医=幕府に仕える医師)塩田宗温の養子となる。13年外班直医(幕医)に抜擢されるが、同輩としっくりいかず、自ら辞職する。
安政3年、蝦夷地在勤を命じられて、8月江戸を立ち、箱館に渡る。4年4月、箱館奉行所学問教授役となる。6年、箱館市中の医師が病院を設けることを協議した際、順庵は栗本瑞見と共に、その要請によって医書を講じ、その謝礼金を、病院建設の資本に提供する。これが今日の市立函館病院の前身となる。
文久2年、召されて江戸に戻り、医学教諭を兼ねたが、間もなく維新の変によって辞職する。後に病院の医師を命じられて再び箱館に来るが、復び東京に帰る。
明治4年2月7日、病により逝去。享年67歳。
順庵は、詩文を好み、また書画も巧だった。嘉永2年には、医師の傍ら海防に関する文書を編さんした「海防彙議(かいぼういぎ)」38巻、および「松園随筆」「蝦夷紀行」などの書がある。

塩田三郎
弘化元年11月6日、順庵の三男として江戸に生まれる。
安政3年、父順庵に従って箱館に赴き、漢学を栗本鋤雲に、英学を名村五八郎に、仏学をメルメ・カションに習う。そして、幕府から通弁御用に取り立てられ、当時、箱館に来ていたアメリカの鉱山学者の通訳をして道内巡視の案内を務める。
文久3年、召されて江戸に戻る。長兄宗叔が病死により亡くなり塩田家を継ぐ。それまでは、父の実家の官河姓を名乗っていた。この年の末、外国奉行池田長発を正使とする横演鎖港談判使節に通弁御用出役(調役格)として一行に加わり、フランスに赴いて元治元年帰国する。ついで、慶応元年外国奉行柴田剛中に従って英仏に赴き、3年外国奉行支配組頭に進む。この頃、横演にフランス語学所が設けられ助教授となる。
明治4年、外務大記として岩倉特命大使の米欧回覧に随行し、8年露国における電信会議に出席。その後、外務大臣書記官、参事院議官などを歴任し、14年井上外務卿の下で各国使節と条約改正を折衝する。 明治18年、特命全権公使として清国に。駐箭(ちゅうさつ※駐箭=外交官・軍人などが職務のために外国に滞在すること)したが、22年、北京に滞在中客死。享年47歳。

本文/「ステップアップ」vol.314(2015.5)より~NO.293、294
(写真資料/ 「函館・道南大事典」南北海道史研究会編集参考資料、 「函館百珍卜函館史賞」岡田健蔵著、 「塩田順庵と海防彙議」阿部龍天著、 「北海道史人名事典」北海道庁史料編集所発行、 「北海道歴史人物事典」北海道新聞社編、 「PINUS18」雄松堂書店発行
取材協力/函館市中央図書館 )


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