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清水谷公考 (しみずだに きんなる) 1845年~1882年

明治元年新政府が樹立され、北海道の統治機関として箱館裁判所が設置となり、函館裁判所総督から箱館府知事となった清水谷公考。

弘化2年9月6日、父公卿・清水谷公正、母京都府士族・桂衛守の娘・富江の子として京都に生まれる。幼い頃に出家して比叡山に入るが、嘉永7年に兄の清水谷実睦が没したため、清水谷家を継ぐことになり還俗する。
安政3年12月に従五位下に、5年12月元服して従五位上に叙し、昇殿をゆるされ、文久元年正月正五位下に叙し、2年9月、侍従を申しつけられる。11月従四位下、元治元年3月従四位上に、慶応2年正月正四位下に叙される。
慶応3年春、徳島出身で樺太開拓に尽力した岡本監輔(文平)が、清水谷家に寄食する。これは数年前に監輔が清水谷の家に寄食し、公考に書籍を教授した縁があったからであった。公考は監輔を大変敬愛し、蝦夷地に対する知識を教導され蝦夷地に目を向ける切っ掛けとなった。
慶応4年、鳥羽伏見の戦いが起こり、戊辰戦争が勃発すると、蝦夷地鎮撫を朝廷に進言する。このことによって、新政府より箱館裁判所が設置されると、副総督に任じられ、閏(うるう)4月総督に就任し、旧幕府管轄箱館奉行より箱館において業務引き継ぎを行う。一行は少数だったが引き継ぎはスムーズで、公考は旧幕府役人の希望者を下役に用いた。箱館裁判所が箱館府に名を変えると共に箱館府知事に就僅。戦火はまだ及んでいなかったものの、蝦夷地警備の兵力は新政府に従わない東北諸藩に委ねられ、孤立状態の蝦夷地には物資欠乏のおそれがあり、前途は困難であった。
明治元年10月、榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷地へ到着。公考は兵力を峠下へ派遣し、やがて戦端が開かれ、箱館戦争が勃発する。箱館府の急造部隊は歴戦の旧幕府軍に対抗することもなく、公考は側近たちを連れて青森へ撤退する。公考青森口総督に任命されるが、実際の軍事指揮は参謀の黒田清隆がとった。
明治2年4月28日、江差に布陣する。旧幕府軍が5月18日に降伏すると、翌19日に箱館に戻って箱館府知事として再任され政務に復帰し、戦後処理にあたる。同年7月には開拓使次官に就任し、ひきつづき蝦夷地の統合にあたった。9月に東久世通禧長官が赴任してくると次官を辞め、箱館戦争恩賞として250石を賜る。
明治2年12月18日、公考は大坂開成所に入学し、3年12月東京に移る。4年10月ロシア留学を命じられ、8年2月に帰国し、家督を継ぐ。
明治15年12月31日従3位に叙され、同日死去。享年37歳。家督は弟の清水谷実英が継いだ。

本文/「ステップアップ」vol.257(2010.8)より
(写真/函館市中央図書館、取材協力/函館市中央図書館、資料/「北海道人名辞書」「北海道史人名辞典・第二巻」「開道五十年記念北海道」「函館・道南大事典」「函館人物誌」近江幸雄著)


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