函館市文化・スポーツ振興財団

渋田 利右衛門 (しぶた りえもん)  1818年~1858年

明治維新前の箱館に於ける庶民の教育に尽力した商業史、教育史の誇り。

嘉永4年、町年寄松代伊兵衛が渋田利右衛門と謀り、鳥取藩士西川晩翠を招いて松栄講を結び、毎月1と6の日に心学道話を講じ、庶民教化を行つた。心学道話とは神・儒・仏の3教を融合し、その教旨をやさしく説いたもので、卑近な例を多く用いたので庶民に喜ばれ、聴聞するものが多かった。安政4年には、その道場を大町沖ノ口前(旧西警前)に新設したが、晩翠は落成を見ずして死亡した。落成した道場は奉行堀利煕によって「誠終舎」と名付けられ、本道最初の心学道場になった。
 渋田利右衛門も伊兵衛と同じく弁天町の人で商人の家に生まれる。万巻の書を蔵していた箱館知識階級の第一人者であった。幼少の頃より寝食を忘れる程に読書が好きであった。この読書癖には父徳蔵もあきれはて、自由に書見を許した。結果、商業上にも才腕を奮い、父の代よりも繁昌した。弘化嘉永の頃、渋田文庫を設け、所有していた蔵書を全部開放した。苦学時代の幕末の英雄傑勝海舟を後援し、深い友情でむすばれていた。「誠終舎」では自らも講説した。

函館ゆかりの人物伝