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佐藤泰志 (さとう やすし) 1949年~1990年

原稿用紙の升目一杯に書かれた独特の大きな文字。暗く、重い中に青春の煌めきと苦悩が多くの人を魅了し、三島由紀夫賞の候補となり、5度の芥川賞候補となりながらも受賞に至らなかった佐藤泰志の文学に賭けた青春。

昭和24年4月26日、高砂町(現・若松町)にて佐藤省三・幸子の長男として生まれる。松風小学校から37年、旭中学校に入学。読書クラブに所属し、3年生の時、部長になる。「『赤蛙』を読んで」が第10回北海道青少年読書感想文コンクールに入選する。
昭和40年、函館西高等学校に入学。文芸部に入る。41年、小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。42年、函館西高等学校で防衛大学校入学説明会阻止闘争が起こる。この事件を伏線に書かれた小説「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。しかし、この作品は高校生が書いたものとしては内容的に問題があるとされ、北海道新聞への掲載を拒否される。
昭和45年、国学院大学文学部哲学科に入学する。高校時代の学友たちと同人誌「黙示」創刊に参加する。46年、大学の同級生・漆畑喜美子との生活を始める。7月「黙示」を脱会し、同人誌「立待」創刊に参加する。49年3月、国学院大学を卒業。卒業論文は「神なきあとの人間の問題」。市役所を15ヵ所受けるも全部不採用となり、服装メーカーの製品値札付けのアルバイトを皮切りに、その後職を転々とする。同人誌「贋エスキモー」を藤川厳、酒井俊郎とガリ版刷りで創刊する。小説「颱風」が第39回文学界新人賞候補となる。
昭和51年、小説「深い夜から」が第1回北方文芸賞佳作となる。52年、精神の不調に悩み、3月、上目黒診療所で自律神経失調症の診断を受け、通院を始める。小説「移動動物園」が第9回新潮新人賞候補作となる。
昭和54年12月9日、睡眠薬による自殺未遂で入院する。翌年、小説「もうひとつの朝」で第16回作家賞を受賞。
昭和56年、函館市に転居。職業訓練校の建築科に入学する。小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となる。翌年の3月、東京に戻る。「きみの鳥はうたえる」が河出書房新社より刊行される。小説「空の青み」が第88回芥川賞候補作となる。
昭和58年、このころから文芸誌の新人賞の下読みと新聞の書評の仕事が入るようになる。小説「水晶の腕」が第89回芥川賞候補作となる。小説「黄金の服」が第90回芥川賞候補作となる。59年5月から「日刊アルバイトニュース」の連載エッセイ「迷いは禁物」が始まる。5月、国分寺市日吉町3丁目に転居し、以後、没するまでここに住む。
昭和60年、小説「オーバー・フェンス」が第93回芥川賞候補作となる。平成元年、「そこのみにて光輝く」が河出書房新社より刊行され、第2回三島由紀夫賞候補作となる。
将来有望な新鋭作家として嘱目された佐藤泰志だったが、平成2年10月10日、自殺。享年41歳であった。
平成3年2月、「移動動物園」新潮社より刊行。3月「大きなハードルと小さなハードル」河出書房新社より刊行。12月、「海炭市叙景」集英社より刊行される。

本文/「ステップアップ」vol.223(2007.10)より
(写真/函館市文学館所蔵、資料/佐藤泰志追想集「きみの鳥はうたえる」佐藤素志追想集を発行する会発行、企画展「佐藤泰志・途絶した青春」函館市文学館発行、取材協力/函館市文学館)


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