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函館市文化・スポーツ振興財団 Foundation for Culture and Sport Promotion in Hakodate

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5代目 酒谷小三郎 (さかや こさぶろう) 1895年~1957年

商家に生まれ、家業に就きながら生涯画道に精進した酒谷小三郎。

明治28年5月20日、4代目小三郎の長男として函館に生まれる。酒谷家は加賀国江沼郡橋立村字小塩(現・石川県加賀市)の出身で、北前船経営に従事。当主は代々小三郎を襲名し、明治15年頃4代目小三郎の時、商売の拠点を函館に置く。店は函館区西浜町37番地(現・弁天町)で家印は(ワチガイ)、酒谷小三郎店と称した。雑貨荒物、米穀、酒、塩および煙草等を取扱い、商売は繁盛し、裕福な家庭に育つ。
5代目小三郎は、幼名を孝輔と言い、少年期は小塩で過ごし、その後東京川端画学校(後の川端絵画研究所)に学ぶ。函館で家業を継いだのは、大正8年に合資会社酒谷商店を創立し、代表社員となる前の年の7年頃とみられる。取引は道内は元より樺太および三陸方面にまで及ぶ。昭和7年に函館商工会議所議員に当選、ほか七星商事株式会社取締役、七尾水産株式会社取締役を務める。10年には北日本油脂工業株式会社常務取締役に就任、函館経済界で活躍する。
画家としての小三郎は、戦前と戦後に分けられ、戦前はさらに、大正11年10月第3回赤光社展から15年9月第2回道展までの画号「黒田山洋」時代と15年10月第7回帝展から昭和17年9月第18回道展までの「酒谷小三郎」時代の2つに分けられる。戦後は昭和22年10月第2回北海道日本画院展から32年6月までの画号「大聖寺古郷」時代である。画号の黒田は妻の旧姓から採ったもので、山洋は不明だが、船見町高台にあったアトリエも「山洋荘」と名付けられている。大聖寺古郷という画号は少年期を過ごした小塩への思いから画号として付けたのだろう。小塩は江戸時代に大聖寺藩の在ったところで、大聖寺の地名は現在も加賀市の中心地に残されている。戦後一度だけ、昭和22年5月第1回新しき村美術展覧会では酒谷古郷で出品している。
大正11年、赤光社へ初出品する。赤光社は10年2月に結成され、小三郎は翌年から同人として参加。14年、この年から赤光社だけでなく北海道美術協会にも出品し、函館から全道へ活動の場を拡げる。15年赤光社、道展の出品に加え帝展に初入選を飾る。搬入総数2,308点の内154点が入選し、小三郎は「花」を出品。帝展の洋画で、北海道在住者から入選したのは小三郎が初めてであった。
昭和2年、函館で初めての個展を開催したほか春陽会に初入選し、さらに中央での活動の場を拡げる。17年、道展に初めての日本画を出品。この頃仕事の拠点を東京に移し、さらに鎌倉市材木座に別荘「一歩寮」を構える。
昭和27年、初めて東京で個展を開催する。29年、函館での戦後初めての個展を開催。函館では3回目の個展となる。
昭和32年6月20日、3つの画号を持ち、酒谷家5代目として店主の責務を果たし、ひたすら絵を描くことに徹した酒谷小三郎はこの年、永眠。親交の深かった武者小路実篤が友人総代を務めた。
4ヶ月後の10月、松坂屋が遺作展として「故大聖寺古郷水墨画展」を開催した。

本文/「ステップアップ」vol.195(2005.6)より
(写真/「市立函館博物館研究紀要」第15号より転載、資料/「市立函館博物館研究紀要」第15号)


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