函館市文化・スポーツ振興財団

神山 茂 (こうやま しげる) 1893年~1965年

教育者として、また郷土史家として郷土史の研究に精魂を打ちこんだ函館市史編さんの先覚者。

神山茂は明治26年1月15日、函館区東川町に生まれた。祖父は、白虎隊で有名な会津若松の士族であった。
明治44年3月、北海道庁立函館中学校(現中部高校)を卒業、そして翌明治45年3月、札幌師範学校第2部(現道教育大学札幌校)を卒業した。その年、函館区新川小学校訓導に就任し、大正9年3月、函館区弥生小学校訓導の任につく。神山茂が本格的に郷土史研究に取組むのは昭和10年、函館教育会長斉藤与一郎に「函館教育史年表」の作成を依頼されてからのことであった。この教育史年表は、2年有余の歳月を費して昭和12年に単行本として刊行された。神山茂、40代半ばであった。「函館教育史年表」は、単なる年表ではなく、豊富な「引用資料目録」が付されており、実に二百数十点にのぼる郷土史料で、後人の郷土史研究に裨益するものであった。この業績によって、郷土史家としての名声を博した。教育史年表は、今なお不朽の労作として古書目録中に紙価を高めている。
神山茂は、郷土史研究の他にも趣味は広く、園芸、写真、油絵等、いづれもその道に深く、また健脚家で、休日を利用してはよく山野を跋渉していた。
昭和15年6月30日、弥生小学校を依願退職し、以後郷土史研究に没頭する。数々の成果を世に発表したが、注目すべきものの一つに、「平田兵五郎伝」「漁業と堤清六」「高村善太郎伝」「相馬哲平伝」といったような、函館の財界人の伝記執筆がある。“これらの伝記には、よく函館の商業都市としての息吹が感じられて、全く函館人としての先生ならではの、丸みをおびた伝記編述の巧みさに敬服させられる”(須藤隆仙)。業績でことに大きかったものに、「函館市史資料集」の執筆がある。これは市史各分野にわたる基礎資料を克明に筆写し、検討を加えたものである。10数冊にのぼる単行本の執筆の他にも昭和30年12月には、函館市史編さん委員の委嘱を受け、昭和40年5月までに46集に亙る函館市史資料集を刊行している。また公的な研究、編さんの他に、伝記等の依頼、「函館百点」(現タウン誌「街」)、郷土文芸誌「海峡」、函館教育会発行「函館の小学生」等への執筆、その他、函館郷土史研究における講演、ラジオ放送など、歴史を主体とした文化活動は、死去する直前まで続けられた。神山茂の仕事の重厚さがよく現れたものとして「函館教育史」がある。これは岡田弘子元市立函館図書館長が原稿を預託され、没後、函館文化会から刊行された。
昭和28年11月3日、郷土史家として函館文化賞(人文学部門)を受賞した。
昭和40年11月7日、郷土史研究にその半生を捧げた神山茂は人見町の自宅で逝去した。
平成元年、社団法人函館文化会は、神山茂の業績を称え、その名を残し、加えて後進の研究者を励ますために、「神山茂賞」を設定した。

本文/「ステップアップ」vol.68(1994.11)より
(写真・資料/「函館郷土史家 神山茂の追憶」神山茂郎編)

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