函館市文化・スポーツ振興財団

木戸 新太郎 (きど しんたろう)  1916年~1975年

海産商の長男として生まれながらもタップダンスの魅力に引かれ、戦前から戦後に亙って舞台・スクリーンで活躍した人気コメディアン・キドシン。

木戸 新太郎

大正5年5月17日、海産商、木村商店を営む木村喜助・ゑつ夫妻の長男として豊川町に生まれる。本名、木村新吉。姉2人妹4人という女兄弟の中で育つ。性格は明るくお祭り好きで妹の面倒見も良かったという。宝尋常高等小学校から北海道庁立函館商業学校へ入学、サッカー部に籍を置きながらも家へ帰るとバイオリンの稽古となかなかハイカラな家庭環境であったようだ。

しかし昭和7年父の急逝により商業学校を中退、家業を手伝うようになる。この頃フレッド・アステアの映画を観て感動、タップダンスに強く魅かれる。また、二十間坂下にあったカフェ・龍屋のママさんの薦めもあってタップダンスを始める。

12年22歳の時、母の猛反対を押し切って上京、中川三郎タップダンス教室へ通う。翌年、吉本興業の傘下として暁楽劇団(木戸新太郎劇団)、ついでキドシン一座を結成。軽演劇の世界に乗り出し、いわゆるアチャラカ軽演劇の一方の雄として浅草オペラの草分けのひとりシミキンこと清水金一や、後年は「男はつらいよ」の初代おいちゃん役で人気を集めた森川信らと並ぶ人気コメディアンとして活躍する。

16年にはキドシン一座として初の北海道巡業を行う。故郷函館では昨年取り壊された巴座で公演し、絶大な人気を博した。その後も北海道へはたびたび訪れ、巴座の他にも公楽劇場などでも公演された。

23年、映画界に迎えられ、一座を解散して新東宝の専属となりナンセンス喜劇の第一人者、斎藤寅次郎監督の「誰がために金はある」に人気歌手・灰田勝彦、坊屋三郎、柳家金語楼らと共演。以後33年にかけてキドシンの名で映画俳優として活躍した。主な出演作品は、「嫁入聟取花合戦」「びっくり五人男」「男の涙」「戦後派親爺」などがある。

26年からは大映、27年には東映、そして29年には再び東宝に出演。この間出演した作品には、主役で八千草薫と共演した「昔話ホルモン物語」があり、他には「アジャパー天国」「落語長屋は花ざかり」「仇討珍剣法」がある。

31年に日活に移り、「裏町のお転婆娘」「ジャズ娘誕生」「鷲と鷹」「嵐を呼ぶ男」「素晴しき男性」などに出演する。

映画における役どころは、舞台で見せた細い体をギクシャクさせる、おとぼけとずっこけ、せっかちとそそっかしさといった、いわゆる喜劇的三枚目が中心であったが、日活時代になると完全に脇役に回り、コメディ・リリーフとしての活躍が主だった。しかし、その芸は時が経つにつれ笑いのセンスの古めかしさが目立つようになり、やがてスクリーンから姿を消し、再び舞台へ戻った。

昭和50年8月19日、フレッド・アステアを夢見て上京し、舞台とスクリーンで活躍したキドシンはファンに惜しまれ、東京の病院で脳出血のため息を引き取った。享年59歳であった。

函館ゆかりの人物伝