函館市文化・スポーツ振興財団

川内康範(かわうち こうはん) 1920年~2008年

“憎むな、殺すな、赦しましょう”なる人生指針から月光仮面を生んだ、川内康範。

大正9年2月26日、青柳町で生まれ、3歳の時に新川町に引っ越す。本名、潔。実家は法華宗の住職ながら、寺院を持たず生活は苦しかった。
大森尋常高等小学校(現・高盛小学校)を卒業後、家具屋の住み込み店員に始まり、製氷工場、映画館のフィルム運び、そして夕張での坑夫と職業を転々とする。
大都映画で大道具だった兄を頼って上京。土工や新聞配達をしながら、映画のシナリオを書き始め、やがて日活の須田鐘太企画部長に認められて昭和13年、日活撮影所に入社する。次いで16年、東宝演劇部へ、やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当する。その傍ら舞台の脚本なども執筆。東宝退職後、新東宝やテレビなどの脚本家、浅草の軽演劇の劇作家として本格的な活動を開始する。
昭和20年、第二次世界大戦の戦没者の遺骨引き揚げ運動を初め、30年まで10年間続ける。また、海外の日本人抑留者の帰国運動も行う。
昭和25年から35年にかけて、多くの映画の原作脚本を手がける。特に、33年に原作と脚本を手がけたテレビドラマ「月光仮面」は有名で、子ども向け番組の原作や監修も手がける。
月光仮面の題名は、仏教に出てくる薬王菩薩の脇仏としてお仕えしている、日光、月光の2人の菩薩の中から月光菩薩(がっこうぼさつ)をもじってつけられている。
その後、作詞も初め、「誰よりも君を愛す」「君こそわが命」「骨まで愛して」「恍惚のブルース」「花と蝶」「伊勢佐木町ブルース」「おふくろさん」など数多くのヒット曲を世に送り出す。
昭和50年から監修として携わったテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」は、平成6年まで20年弱にわたる長寿番組となった。
平成20年4月6日、作家・作曲家・脚本家・評論家さらに右翼から自民党政治の指南役など、いくつもの顔を持った川内康範は入院先の青森県八戸市内の病院で亡くなった。享年88歳だった。
松風町のグリーンプラザに「憎むな、殺すな、赦しましょう」と台座に刻まれ、拳銃を持った月光仮面の像がひっそりと建っている。

本文/「ステップアップ」vol.285(2012.12)より
(写真・資料/「川内康範資料集」、「日本児童文学大事典 第一巻」大日本図書発行、「新現代日本執筆者大事典」日外アソシエーツ発行、「北海道人物・人材情報リスト2011」日外アソシエーツ編集制作、北海道新聞「北海道と代襲文学」中村純三著、北海道新聞「川内康範が残した言葉」萩本和之著、「月光仮面は函館生まれ」白井雄三著、「生涯助っ人 回想録」川内康範著、他多数、取材協力/函館市中央図書館)

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