函館市文化・スポーツ振興財団

笠島 芳朗(かさじま よしろう)(1933年~1999年)

遠景描き、リアリスティックな風景抽出、確かなデッサン力、北国の風土のなかで、自己の感性を研ぎずました北国の画家・笠島芳朗。

昭和8年7月9日木古内町で生まれる。幼少の頃から海と船と絵を描くことが大好きで、船の絵を先生に褒められたことが何より嬉しかったと言う。昭和29年、船乗りになりたくて木古内第二中学校卒業後、函館水産高等学校に入学する。
昭和32年、函館商科短期大学卒業。砂原中学校の教諭となり、教員生活を送りながら絵を始める。洋画家・故木村捷司氏に師事する。
昭和33年、中学校時代の恩師の勧めもあって公立学校美術科教員となるが、専門性を高めるため武蔵野美術学園美術科油絵専攻に学ぶ。その後、洋画家・池谷虎一氏の進言もあって発表の舞台を東京に移す。
昭和38年、七飯中学校の教諭となり、美術の教鞭を取る。その後、「子どもの可能性を教師の努力次第でいくらでも引き出せる」と特殊教育に力を注ぐべく、昭和54年に開校した北海道七飯養護学校へ移り身障害児たちに美術を通して情操教育を行い、子ども達の創造力や集中力を養うことに務める。63年、函館聾学校の教諭を経て、平成4年画道に専念するために退職する。この年の7月、モチーフをヨーロッパに求め夫人を伴ってスイス、フランス、ドイツ、オーストリアなどの町並みや古城をスケッチして歩く。後にこの旅行から、(仏)ル・サロン展で入選する「ローテンブルクの街」、「プファルツ城雨後」等多くの作品が生まれる。
代表的な受賞作として、昭和58年、「雨後雪景」が文部大臣賞受賞。60年、「氷雪の街」が第67代内閣総理大臣(福田赴夫)賞受賞。平成2年、「函館冬景」が内閣総理大臣賞(海部俊樹)受賞。そして、10年に「北京の朝」がフランス大使館賞を受賞し、これが最後の作品となった。
平成5年、(仏)ル・サロンの永久会員となる。また、12年には近代日本文化協会財団より、国際芸術栄誉賞を授与される。
平成6年頃より体調が思わしくなく、病魔と闘いながら、七飯町教育委員会委員長としての責務も果たし、さらなる創作活動を続ける。確かなデッサン力によるリアリスティックな風景描出。作品の中でも特に「冬・雪」という北国をモティーフにしたものを得意とし、「北国の画家」と言われる。晩年では北国の風土を意識しつつ、京都や奈良、ヨーロッパへモティーフを求め、四季折々の風景美をうたいながら、自己の感性をさらに研ぎすましてゆく。
また、北海道新聞の地域情報版「函館新聞」の連載「まちは唄(うた)う」の挿絵を担当、油彩画とはひと味違った笠島芳朗の親しみやすい世界を描いている。
平成11年5月20日、函館とその近郊の風景画を描き続けた北国の画家、笠島芳朗は病により帰らぬ人となった。
市立函館博物館では平成14年9月17日より11月3日まで、笠島芳朗を忍んで「函館のまちは唄う-笠島芳朗の世界-」が開催された。

本文/「ステップアップ」vol.163(2002.10)より~NO.143
(写真・取材協力/笠島洋子、市立函館博物館)

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