函館市文化・スポーツ振興財団

カロリョフ,アナトーリイ・ニコラエヴィチ 1889年~1975年

革命という非情の波に流され、生涯故国の土を踏むことなく、函館の土となった亡命ロシア人。

クリミア半島の軍港の町セバストポールにて男爵家の次男として生れる。海軍少佐のとき第一次世界大戦に従軍し、バルト海戦に参戦、その後たまたま練習艦隊の掃海艇々長として米国訪問中、ロシア共産革命に遭遇し、帰国を強く希望する乗組員の反乱により、止むなく艇を捨て独りニューヨークに上陸、亡命の一歩を踏み、この地で運送業を営む。しかし、生き別れた両親の安否を気遣い、機会があれば極東地域から母国への潜入の可能性に淡い期待を抱き、大正年間アメリカから函館に亡命する。最初は元町のロシア長屋に住む。
昭和2年に設立されたソビエト国営の漁業、毛皮、林業などを扱う「カムチャツカ株式会社」の駐日代表となっている。
大正12年、カロリョフ35歳の時、よく食事にいくレストラン「五島軒」で橋本キクヨさんと出合い、キクヨさんの家族の猛烈な反対を押し切って結婚する。この時キクヨさんは21歳だった。
昭和20年終戦。カロリョフは、米国駐留軍司令官の通訳となり、また米軍のロシア語教授も引き受けた。英語の個人教授や翻訳の仕事をやり、NHKロシア語講座も担当した。
昭和39年日本国籍をとり、「アナトリー橋本カロリョフ」となった。ウクライナの地を再び見ることもできず、父母の墓参もかなわず、昭和50年8月26日、東京の長男宅で老衰のため他界、波乱に富んだ86歳の生涯だった。
現在、カロリョフは立待岬通りの啄木一族の墓の近くに妻キクヨと静かに眠っている。

本文/「ステップアップ」vol.117(1998.12)より(3人のロシア人として掲載)
(写真・資料/「地域史研究・はこだて」第16号)

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