函館市文化・スポーツ振興財団

金子鴎亭 (かねこ おうてい) 1906年~2001年

戦後、親しみやすい書を目指して漢字、かなまじりの近代詩文書運動を提唱。日本の書道界の革新に尽くし、道内の書家にも大きな影響を与えた書家・金子鴎亭。

明治39年5月9日、茂草小学校長金子賢治・カクの四男として、松前郡雨垂石村(現・松前町静浦)で生れる。本名、賢蔵。
大正10年4月、松城小学校高等科卒業後、札幌鉄道教習所入学。大塚鶴洞に習字の指導を受ける。その指導によって書を古典から直接学ぶことを覚える。初めに北魂の高貞碑を学ぶが、その造形のおもしろさと運筆のリズムの大胆な変化を知り、すっかりとりこになってしまう。13年、川谷尚亭の主宰する甲子書道会に入門する。
昭和3年、健康がすぐれず鉄道を退職し、函館師範学校(現・教育大学函館校)の二部に入学。師範学校在学中に、これからの書道界はこれまでの漢字、かなのほか、大衆に愛される近代詩文書を新しく創造しなければならないと思い、これに自分の一生を懸けようと心に決める。
昭和4年、書家・比田井天来が書会のため札幌に来遊。上京して学書することを勧められる。7年5月、上京。本所高等小学校で教鞭をとる傍ら天来の書学院にて書の研究に励む。10年、北海出版社より、「書之理論及指導法」刊行。比田井天来より巻頭題字として「破蒙」を贈られる。12年、比田井天来主宰の「第一回大日本書道院展」で特別賞を受ける。
昭和39年1月、日本書道美術院から随鴎社の離脱を申し出、3月に創玄書道会を設立し、会長に就任する。40年、第一回創玄展を東京都美術館において開催する。翌年の11月、第九回日展の出品作「丘墾寄懐包」が文部大臣賞を受賞。さらに翌年の42年、日本芸術院賞を受賞する。
昭和48年、近代詩文書作家協会設立、会長に就任。
昭和56年から57年までに函館市に対し鴎亭作品355点、美術関係図書1000冊を寄附する。57年、函館丸井今井百貨店、札幌丸井今井百貨店において「川端文学燦文集の書展」を開催。58年4月、勲三等旭日中綬章受賞。同年10月28日付をもって文部省より社団法人創玄書道会の認可を受け、理事長に就任する。
昭和61年9月22日、道立函館美術館が開館され、同館内に「鴎亭記念室」が開室される。
昭和62年1月12日、昭和61年度毎日芸術賞受賞。7月、銀座松屋において「金子鴎亭書業六十年のあゆみ展」開催。10月、道立函館美術館において「現代書の父金子鴎亭六十年のあゆみ展」開催。11月4日、文化功労者として顕賞を受ける。
平成元年、北海道開発功労賞受賞。翌年11月3日、文化勲章を受章する。
平成4年5月、道立函館美術館において「金子鴎亭とその一門展」が開催される。
平成13年11月5日、難解、難読に陥りがちな永い書の伝統から脱却し、近代日本文学を素材とした、誰にも親しめる清新な近代詩文書の世界を打ち立てた、書家の金子鴎亭は95年の生涯を閉じた。
溝口健二監督の「赤線地帯」、黒沢明監督の「蜘蛛巣城」のタイトル揮毫は有名なところ。

本文/「ステップアップ」vol.202(2006.1)より
(写真・資料/「現代書の父-金子鴎亭六十年のあゆみ」、「北海道立函館美術館コレクション 金子鴎亭-四季を謳う-」、「文化勲章受章記念金子鴎亭書展」、協力/道立函館美術館)

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