函館市文化・スポーツ振興財団

大高ひさを (おおたか ひさを) 1916年~1990年

多感な時期を函館で過ごし17歳でデビュー
戦後の歌謡界を代表する作詩家の一人、大高ひさを

大正5年3月11日、小樽に生まれる。本名、大高久男。幼いうちに両親を亡くし、函館の伯父のもとで育てられる。昭和4年3月函館市立東川小学校を経て、6年3月函館市立弥生小学校高等科を卒業する。このころ、当時の雑誌「少年倶楽部」に投稿した詩が入選、担任であった坂本信一郎先生が、その才能を見抜き、久男を励まし続けたことが大輪の花を咲かせることになる。
昭和8年、旧制北海道庁立函館工業学校機械科在学中の17歳より独学で作詩家としてキングレコードよりデビュー。以来、約二千余曲を作詩している。
昭和9年3月、函館工業学校を卒業。同年6月海軍航空技術工場に入り、機密兵器の設計を終戦まで担当する。海軍当局の許可を得て、16年11月帝国蓄音器株式会社(現・株式会社テイチクエンタテインメント)専属作詩家となり、17年4月、海軍航空技術工場の技術文官となる。※文官=軍事以外の行政事務を取り扱う者
昭和21年6月、作詩活動のかたわら戦後初の歌謡専門誌「歌謡春秋」の編集者となり、10月、後進の指導・育成を目的として同人誌「歌謡曲研究」を主宰、全国に20余りの支部をもつ。22年、日本音楽著作家組合の設立に参加。20年代に於いては、「君忘れじのブルース」「玄海ブルース」「江の島悲歌」「連絡船の唄」等の作品を発表し、戦後の荒廃した世相のなかで、人々の心に安らぎを与え、歌謡界に次々と新風を巻き起こす。
昭和30年代に入り、アルジェリアを舞台とした「カスバの女」を発表、遠く離れた外国の酒場で働く女性の心情を歌ったこの作品は、人々に深い感銘を与えた。戦時中に見た映画「望郷」にヒントを得て、アルジェリアの無法地帯カスバに逃げ込んだジャン・ギャバン扮するお尋ね者を、酒場女に置き換え、題名を「カスバの女」に決めると“言葉がわいてきて、その夜、一気に書き上げた”という逸話がある。55年のアルジェリア大地震の際、救済の募金活動に努めたことにより、日本赤十字社より「金色有功章」を受章する。
昭和36年、石原裕次郎と牧村旬子のデュエットでミリオンセラーとなった「銀座の恋の物語」のヒットを記念して、銀座連合会が中心となり、平成2年7月5日、銀座数寄屋橋公園の一角に「銀恋の碑」が建てられる。表には、大高ひさを肉筆の歌詞と作曲家・鏑木創の書いた五線紙を刻んだ銅板のレリーフがはめこまれ、裏には曲の由来が記されている。
昭和40年、日本作詩家協会の設立に参加。
昭和50年の夏、作詩家への弾みをつけてくれた弥生小学校時代の恩師・坂本信一郎先生夫妻をハワイ旅行に招く。ファーストクラスを用意して、47年後の恩返しだった。 平成2年9月2日、東京都世田谷区松原の自宅で死去。

本文/「ステップアップ」vol.302(2014.5)より~NO.282
(写真・資料/写真・資料提供 函館市文学館)

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