函館市文化・スポーツ振興財団

小田豊四郎 (おだ とよしろう) 1916年~2006年

北海道を代表する銘菓を作り上げた六花亭の創始者、小田豊四郎

大正5年3月13日、小田佐太郎・としの長男として函館市に生まれる。父・佐太郎は愛知県の出身で函館の海産物問屋で番頭を務め、9年、野付牛町(現・北見市)で雑穀商いを始める。函館で生まれ育った母・としは旧姓が岡部で、8男2女の長女。二女の夫が岡部武二で、旧姓を後藤武二といい、札幌千秋庵の創業者。
豊四郎は、幼年期を野付牛町で過ごすが、小学校低学年のときは体が弱かったため、お日様を浴びて少しでも健康にと夏休みになると母に連れられて大森浜、七重浜などで海水浴をしたそうだ。また、函館には祖父の岡部多古がおり、製粉の基礎を築いた祖父と過ごす夏休みの生活は、努力をすること、贅沢をしないこと、といった堅実な生活ぶりから随分と影響を受けたと、後に述懐している。
当時、北見で手広く雑穀商を営んでいた父が、ハッカの相場で失敗。進学をあきらめ、昭和8年、北海道庁立野付牛中学校(現・北見北斗高校)卒業後、母方の札幌千秋庵菓子店に住み込みとなる。ここからお菓子づくりの道が始まる。
昭和12年、帯広千秋庵の経営を叔父より引継ぐが、苦しい経営が続く。
昭和26年、関西大学・山崎紀男教授の講演で氏が語った「お菓子は文化のバロメーター」の言葉に衝撃を受け、帯広を代表する銘菓を作ることこそが自分の使命と誓う。
昭和27年、帯広千秋庵製菓株式会社を設立し、代表取締役に就任する。
昭和35年、月刊「サイロ」を創刊。このとき表紙絵の制作を画家・坂本直行に依頼し、その縁で、36年以来、花柄の包装紙が使用されている。
昭和42年、欧米を視察した際小さなお菓子屋さんが独自のチョコレート工場を持っていることに驚き、「日本にもチョコレートの時代がくるだろう」と帰国後、工場の一角にチョコレートの機械を設置。北海道の雪のイメージに結びつくとして日本初のホワイトチョコレートを生み出す。
昭和52年5月14日、45年にわたって親しまれた千秋庵の暖簾を返上し、奈良東大寺管長・清水公照老師命名による「六花亭」に社名を変更する。社名変更記念菓として発売されたのが「マルセイバターサンド」。
平成7年、会長に就任と同時に、六花亭研究所所長に就任。15年、特定非営利活動法人『小田豊四郎記念基金』を設立する。
平成16年、六花亭五稜郭店がオープン。外観は、静謐な美術館のような佇まいで、木立を抜けて店内に入ると、五稜郭公園に面した壁一面がガラス張りになっていて、四季折々の自然を眺めることができる。
平成18年8月3日、満90歳にて天寿を全うする。
昭和57年、帯広市文化賞。平成4年、勲五等双光旭日賞。平成10年、北海道新聞文化賞。各賞を受賞する。

本文/「ステップアップ」vol.324(2016.3)より
(写真・資料提供/六花亭製菓株式会社、参考資料/続「ほっかいどう百年物語」STVラジオ編集 林下英二発行者)

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