函館市文化・スポーツ振興財団

岩船ヤス (いわふね やす)1818年~1892年

三代目岩船峰次郎 (いわふね みねじろう)1874年~1953年

函館屈指の大呉服店と称された老舗岩船呉服店の岩船ヤスと三代目岩船峰次郎。

明治7年5月16日、三代目岩船峰次郎は二代目峰次郎の長男として函館に生まれる。
初代峰次郎は、新潟県岩船郡(現・村上市)の出身で、その故をもって、岩船を姓とした。文化年間、箱館に渡り、わずかに飴、駄菓子を行商して生計をたてていたが次第に財をなし、ついに(きゅうしめいち)岩船呉服店として函館随一の繁栄を見るにいたった。
岩船家の真の創業の祖は、初代峰次郎の長女ヤスで、文政元年、弁天町で生まれ、父の死後、病身の母と幼い2人の弟妹を扶養する。ヤスは少ない資本で木綿の行商をして、一家の生計を支え、苦闘数年、小規模な太物商を営むにいたる。成功の後も徒歩で、京都・大阪方面に仕入れに行くという努力振りで、往復すること前後16回に及んだという。
性格はきわめて温順で、正直、しかも非凡な商才と明晰な頭脳の持ち主のうえ、孝心深く、また、近隣に病者、貧者があればすぐに出費を惜しまなかったので、人々はこれを徳として店頭に集まり、営業も隆々と栄え、ついに函館屈指の大商人と称されるにいたる。
ヤスの孝心は夫を迎えることにより、老母の意に背くことがあるのを恐れ、生涯独身を通し日浦の三浦家から養子を迎えて家督を継がせ(二代目峰次郎)、明治25年9月17日病に没した。享年74歳だった。
孝養や困窮者扶助などの善行に対し、嘉永5年松前藩主、明治元年清水谷公考箱館府知事、3年開拓使農政掛、12年道開拓使より褒状又は金品を賜り表彰された。14年明治天皇巡幸の際、その徳行が報告された。
明治43年、峰次郎は父の死によって、三代目峰次郎としてその業を継ぎ、一層家業の発展に努めた。営業拡張のため卸部を独立させて別組織にし、新たな展開を示した。また、販売地域をどんどん広げ、近隣では福島、江差、森、上磯、大野、下海岸は日浦、戸井等、遠くは日高、釧路、最遠地では樺太の真岡や落合などもあった。小売りでは西部地区から湯川まで全域を網羅し、得意先が500軒ほどあった。
また、多年弁天町ほか4ヶ町の衛生火防組合長、呉服商組合役員としてそれぞれ尽力し、函館の呉服店中の代表的店舗として、絶対の信用を得るにいたったが、戦時統制の企業整備により廃業した。
昭和28年、呉服商の老舗岩船呉服店を継ぎ、発展させた三代目峰次郎はその生涯を閉じた。
別荘として巨費を投じて築造した「香雪園」は、三代目峰次郎の精神が生かされ、林泉の美、布石の妙は天下の名園と称され、現在は見晴公園として一般に開放されている。また、道南の桜の名所として有名な上磯南部陣屋城跡(現・北斗市)もその所有地であった。

本文/「ステップアップ」vol.216(2007.3)より
(肖像画/岩船修三(三代目峰次郎の四男・洋画家・平成元年没)、参考/「函館名士録」、「開道五十年記念・北海道」函館鴻文社発行、「函館のルーツを探る・肖像画集」社団法人函館文化会、「函館人物誌」近江幸雄著、「地域史研究はこだて」第4号、取材協力/函館市中央図書館、函館市史編さん室)

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