函館市文化・スポーツ振興財団

アルハンゲリスキイ,ワシーリイ・ワシーリエヴィチ 1886年~1939年

革命という非情の波に流され、生涯故国の土を踏むことなく、函館の土となった亡命ロシア人。

アルハンゲリスキイは帝政時代にロシアの漁業監督官の地位にあり、カムチャツカ地方の漁場を掌握していた。その後、ロシア革命を逃れ来函し、函館で生涯を終えた。
最初ツェントルソユーズ(全露中央消費組合)の支部に務め、漁夫や物資を運搬するロシアの義勇艦隊所属の船舶の取り扱いも行っていた。
昭和8年には、(株)日魯漁業函館出張所の事業部外事課(のちに外事部に分離)に入る。ここでは複雑な条約や法規の解釈をこなして、対露関係業務を処理する一方、7年間も「露語講習会」の講師を勤めた。北洋漁業のメッカであった函館には100人以上ものロシア語通訳がいたといわれ、その養成にも大きく員献した。
興味深いのは、アルハンゲリスキイが一時期ソ連側の立場でロシア語の新聞を発行していたことである。タイトルは「オブゾールヤポンスコイプレッスィ」で、発行部数は30部程度。ソ連向けの情報誌として編集されたようだ。しかし、その後、ソ連とは縁を切ったらしく日魯漁業に勤めるようになったのである。
日魯漁業在籍中の昭和14年、アルハンゲリスキイは、持病がもとで52歳で亡くなった。残された未亡人と娘さんも昭和18年に亡くなり、現在外人墓地で静かに眠っている。

本文/「ステップアップ」vol.117(1998.12)より(3人のロシア人として掲載)
(写真・資料/「函館むかし百話」、「函館市史」通説編第3巻)

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